フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 偽りは身を滅ぼす | トップページ | まったき愛を求めて »

2015年10月 4日 (日)

泣いて歯ぎしりしないため

マタイ 24章22節 
もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

この聖書箇所を読むと、大患難時代が来る前にクリスチャンは携挙て守られる、そう理解できます。教会の中には、携挙を語らない教会があります。これは大きな間違いであり、聖書(Ⅰテサ4:17-18、1コリ15:51-57)では明白にこのことを語っています。私たちはこのことをよく知って、「目を覚まして」備えて置く必要があるのです。

 また携挙のことを語っている教会で、クリスチャン全員が携挙されると説く教会があります。
Ⅰコリ15:51で「私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられ」という<みな変えられ>を根拠にしています。しかしこれは、聖霊の油を切らさないすべてのクリスチャンであって、クリスチャンの皆ではありません。
 なぜでしょうか。それはマタイの24,25章があるからです。ここには三つの喩えが出てきます。その中の一つ「十人の乙女」の喩えですが、十人とも油の灯火は持っていました。つまりかつては聖霊によって輝やいていたクリスチャンでした。しかしそのうちの半分は(実際には割合は不明です)油を切らしてしまい、買いに行っている間に花婿、つまりキリストが来て、灯火を灯していた五人を連れて祝宴に入ってしまいます。これは「携挙」です。Img_7071
 油が切れてしまい、買って戻ってきた五人の娘はどうなったでしょうか? 『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言われ、閉ざされてしまします。つまり携挙されず、残されてこの後に来る大患難時代に信仰の証しをすることになるのです。
 現在は終末は近く、教会単位で携挙されると思いますが、フィラデルフィア教会においてすら全員ではありません。ですから残されて、「外の暗やみで、泣いて歯ぎしり」しないよう、以下の3点を心がけたいと思います。
 マタイ24章後半から、「任された使命を忠実に、裏表なく、誠心誠意仕え、全うするしもべ」となりましょう。与えられた召しを全うしなければなりません。
 次に「聖霊の油を絶やさない」でいた乙女のように、臨在を求め、早天などで常に熱心に祈りましょう。神を愛する者は常に神と交わることを一番にします。聖霊の支配、臨在を常に求めましょう。
 三番目に自分の考え能力ではなく、主に聞き従い、賜物を用いることです。タラントの喩えとは、生来の人の能力や結果だけで評価されないことです。主に聞き従い、主から与えられた賜物を用いて行う聞き従いが重要です。
 携挙されるためのこの三つを、私たちは切に祈り求めるのです。

« 偽りは身を滅ぼす | トップページ | まったき愛を求めて »

神の国」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/592434/62459630

この記事へのトラックバック一覧です: 泣いて歯ぎしりしないため:

« 偽りは身を滅ぼす | トップページ | まったき愛を求めて »