イエスから目を離さない
† へブル 12章1-2節
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
このへブル書はちょうどイスラエル派遣中での聖書日課でした。へブル書やヤコブ書はユダヤ人向けというだけでなく、すばらしい御言葉の宝庫です。本日はこの書を通して、特に神さまとはどのようなお方なのか、それを学んでいきましょう。
まず、「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法を思い出すことはしない(10:17)」「わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない(13:5)」という御言葉です。これらの言葉で主は私たちに約束されています。十字目を絶えずイエスに向け続け架でひとたび赦された罪は、完全に赦され続けているのだということを。クリスチャンの中には、自分のあまりの罪深さにおびえ、救いの確信を失う方もおられますが、これを不信仰と申します。十字架の力は絶大であり、神は二度と思い出すことはないと約束してくださっているのです。罪は精算され、もはや白紙であり、死はその力を失っているのです。
大切なのは救われてからの罪を残らず悔い改めることであり、感謝と謙虚さを失わないことです。また目を絶えずイエスに向け、賛美の器であったサタンがもっともいやがる、賛美のいけにえを絶えず捧げ続けることです。
天地万物を神が創造されたのは、人を造りその舞台とするためでした。その人たるものは、肉の体と霊の体を併せ持つ存在として造られました。これは神が肉を超えて霊に生きる意志、あるいはたましいを、切に求めておられるからだと私は理解しています。神はご自身の都、天のエルサレムで、人のそのような霊・たましいと共に永遠にお住みになりたいのです。
ではどうしたら私たちは神のその期待に応えられるでしょうか? 「イエスから目を離さない」ことです。ペテロは目を離したがためにガリラヤ湖上を歩いていたのに、たちまち沈んでしまい、漁師なのにイエス様に助けていただかなければなりませんでした。十字架という救いの業を完成してくださり、人はこの十字架を見続けている限り、世の荒波に襲われることはありません。困難に遭うのは、目を反らすからなのです。「決してあなたを離れず、またあなたを捨てない」と言われた方は、「きのうも今日も、いつまでも同じ(ヘブル13:18)」であり、変わることはないのです。
それ故私たちは神に祈り求め、神の力によって「イエスから目を離さず」に居続けましょう。そして神が私たちをして「少しも疑わずに、信じて願いましょう(ヤコブ1:6)」。自分の力にではなく、神の力によってです。
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