新年ガリラヤ湖礼拝
東京アンテオケ教会 パウロ秋元牧師
† ルカ 3章:2・:4節
神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。
主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。
皆さん、天下分け目の戦いと言えば、関ヶ原の戦いですが、たった一日それも実際には数時間で決まったようでいて、実は石田三成派を完全につぶすためにかなり前から周到に始まっていたものでした。先ず上杉征伐に時間をかけて東に行き、留守に乗じて三成が決起して立つのを待っていたのです。同じように、「主の戦い」というものは、再臨の日の一瞬で決まるようでいて、実は相当長い時間をかけて進められているのです。再臨の決定的な審きの前に、神の救いの計画、魂の大リバイバルが周到に計画され、進められているのです。それはこの5月20日に「リバイバルが始まりました」という神の言葉が私たちに下ったことで明らかです。ヨハネは神の言葉があってはじめて、その使命が始まりました。「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」は私たちにも同じなのです。
神の言葉があって、神の国は始まりました。ヨハネだけでなく、アブラハムもダビデも、神の言葉があって始まったのです。これまで私たちにも海外宣教、孤児院などすべて、不可能な状況の中に神の言葉が下り、スタートしたものです。目に見える判断ではなく、神の言葉の確かさを私たちはこれまで見ています。
もっともこれらは類を見ない働きで大きく成長しているにも関わらず、褒められもせず、かえって批判中傷を浴び続けて来ました。そのような人々は「預言」「カリスマ宣言」などで詳しく説明した私たちの聖書的な立場をろくに理解も読みもしようとはせず、ただ自分の主観と思い込みで無責任な攻撃しているだけなのです。しかしこれが実は私たちに益となっています。それはおそらくですが、私たちは「ヨイショ」とか「持ち上げ」に弱く、褒められると神の栄光をとってしまう危うさがあるのだと思います。ですからこれは、かえって守られている、とさえ思われるのです。
私たちにリバイバルのゴーサイン、神の言葉が下りました。それでここから「主の道を用意し、まっすぐにする」ことで、これから神の栄光を見ていくようになるのです。
« 人の願いと神の計画 | トップページ | 新年度船橋礼拝 »
「使命」カテゴリの記事
- 私たちの召し(2022.02.27)
- 証人としての力(2021.08.08)
- 教会の使命~滅びゆく人々を獲ち取る教会(2020.12.06)
- 伝道 (2019.09.29)
- 死人が神の声を聞く時(2018.12.30)
コメント