新年度船橋礼拝
✝ルカ 3章2節・4節
神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。
主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。
派遣では、年間聖句と関わって再臨と御霊の体のことが多く語られました。どうしてそうなのかと関連を私なりに説明させていただきます。
先ず「神のことばがザカリヤの子ヨハネに下った」、その言葉とは昨年の5月20日、セントルイスでの「リバイバルが始まりました」です。これは黙示録にある、患難時代七年間の前半で、患難と共に非常に多くの人々がキリストを信じ救われる出来事(リバイバル)が、いよいよ始まった開幕宣言だと言えます。当然ですがリバイバルは神のゴーサインなくしては、始めてはなりません。しかしそれが出たのです。確かにこの始まりはまだ目に見えてのものではないでしょう。しかし始まったのです。忠実に主の召しに従うなら、私たちは必ずその驚くべき収穫を見ることでしょう。この群れと私たちにはこの使命があって立たされているのです。本戦は一瞬でも、実はその前の念入りなお膳立て、状況のセッティングで実際には決まります。目を覚まして参りましょう。
「主の道の道備えをし、リバイバルへの道をまっすぐにする」ということは、主が来られた時には曲がりくねった道、凸凹道を直し、主が降りてこられた途端に、天の軍団は高速道路を猛スピードでぶっ飛ばすようにし、あっという間に勝利をとるということです。これからその道ぞなえが具体的に示されていくことでしょう。ますます聞き従いを強めて行く必要があります。
また目的でもある再臨と御霊の体の復活について、今わかっていることだけでもしっかり整理しておきしょう。キリストは二度来られます。一度目は空中で、地上に居るクリスチャン守るためです。ここで携挙される人も多いことでしょうが、残される人もいるのです。残されると後半の大患難時代を迎えなければなりません。これは天から落とされたサタンが荒れ狂う時代であり、反キリストや偽キリストを通して、クリスチャンを根絶やしにしようとし、実際それが許されます。偶像崇拝を強要され、刻印を身に受けない者は売ることも買うこともできなくなります。つまり悔い改めて神に立ち返ったほとんどのクリスチャンは、いろんな形で殉教し神の栄光を現すことになります。自分が弱いことを告白し祈り続け、自分ではなく、神の力に依って行くなら、これはこれで素晴らしい神の勝利となります。
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