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2015年11月29日 (日)

携挙の3条件とその目的

へブル 12章7 マタイ24章25章

12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

聖書に明確に述べられている携挙のことをクリスチャンが知らない、あるいはそのための準備ができていないことになれば、その教会と牧会者の責任が後に神に問われることになるでしょう。終末が確実視されている現代では特にそうです。

 携挙についてあらまし確認します。携挙はこれから来る七年の患難時代の真ん中、第七のラッパが吹き鳴らされた時に起こります。その前哨戦であるリバイバルはすでに始まっており、やがて来る患難時代の大リバイバルは反キリストによる中東和平が成ってから始まります。その患難時代のちょうど真ん中近く、六つ目のラッパによる大きな地震が起こった後、次の七つ目のラッパが吹き鳴らされた時、携挙は起こるのです。
 その瞬間私たちは、生きているまま、即座に御霊の体に変えられ、空中に引き上げられ、そこでイエス・キリスト様にお会いすることになります。しかしたとえフィラデルフィア教会においても全員ではありません。また他の教会においても、少ないなりに携挙される方は携挙されます。引き上げられて大患難から守られる者と、残される者とに分けられるのです。大患難時代については、また次の機会にふれたいと思います。

 では、私たちクリスチャンが携挙されるためにはどうしたらよいのでしょうか? 携挙される三つの条件と言うべきものが、マタイ福音書の24、25章にキリストに三つの喩えを通してキリストが語っています。管理人のたとえでは ①「忠実に御心を行う」、十人の乙女では ②「聖霊の油を切らさない」、タラントのたとえでは ③「聖霊の賜物を用いて使命を全うする」というものです。
 これは個人的な解釈ですが、これら携挙されるための三つの条件の土台には、基本として②のような「聖霊様との深い交わりを第一にした生き方」があると思います。聖霊様との深い交わりを通して神様をよく知るなら、③のようなとんでもない誤解をして大失敗をすることもないでしょう。また必ず深く主を愛するようになりますので、そのうち自分の命や人生など取るに足りないことに気づき、まず第一に主である神の御心、ご計画を行い大切にする者と変えられます。さらに主を信頼する忠実なしもべとなるので、主が賜物を豊かに注いでくださることでしょう。聖霊の深い交わりと主を心から愛することは、すべての携挙の条件をカバーして余りある者とされて行くのです。

 みなさん、日々のデボーションを欠かすと、霊的な飢え渇きを覚えられませんでしょうか。教会にはキリストが満ちていますが、日々のデボーションという主との霊的な交わりを大切にし、生活の中でも主を第一にした歩みをするべきです。

 さてこの携挙から万が一、残されたとしたらどうでしょうか。大患難時代、教会はもはや存在しません。信仰を守れば、殉教必須の時代となります。残された人は神から見放されたのでしょうか。いいえ、そうではないと思います。なぜなら神は愛する子、子どもとして扱っている証拠なのです。父から懲らしめを受けないような子どもはいません。ただ携挙後にその懲らしめが来ただけなのです。また私たち神の子どもとされた者に、耐えられないような試練というものは与えられません(1コリ10:13)。ですからまず神を信頼し、脱出の道を備えてくださっていますのでそれを感謝し、祈り求めるべきです。天地は移り変わっても、神のことばは不変です。大患難時代といえども、私たちは神の国へ凱旋するのは確実なのです。

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