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2015年12月 6日 (日)

クリスチャンのさばき

Ⅰコリント 3章13節

 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とと もに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。 

 非常に大ざっぱに言えば、神を信じない人にも、信じる者にも、一度だけ大きな判定があって、これを聖書では(死者の)さばきといい、第二の死とも言う。もちろんさばきは神がされる。これは恣意的なものではなく、その人が生前に行った膨大な記録による。そうなると人の死後は決まっていて、全員が有罪となり、例外なく地獄行きである。多少の善行があろうとも、芥川の「蜘蛛の糸」とは異なって、人には原罪があり、自己中心なので第二の死(地獄=火の池)行きは避けられない。

 ではどうしたら天国へ行けるのだろうか。イエス・キリストの十字架を信じる道しか人類には残されていない。天地万物を造られた神ご自身が、自分の罪の身代わりとなって十字架にかかってくださったことを信じ、告白することである。十字架は全ての罪を帳消しにするスーパーカードのようなもので、天国とは正しい人が入るというより、罪人が赦された恵みで入れる所である。

 ところで神を信じた人にもさばきがある。そう言うと「エエッ」と驚かれるクリスチャンも多いことだろう。これはさばきというより「報い」というべきものである(1コリ3:10-15)。クリスチャンには第二の死はありえないので、確かに約束通り天国には行ける。ただし天国は、諸国の民が住む所と、天から降りて来る神の都エルサレム(黙示録21章)とがあって、気になるのはそのどちらに住めるのか?ということである。おそらくは神の都のエルサレム内に住める人とは、千年王国の時代、キリストとともに王となるような殉教者か、または携挙されるような信仰者(聖徒)だと私は見ている。このような方々が聖所の柱となられるのである。

 私はこの都に住むことを、皆さんと同じように熱望している。なぜならまず第一に神の近くに一時でも長く居て、賛美を捧げ続けたいと願うからだ。また神からの天上での新たな使命や任務もあることだろう。また次のような美しい都に住むことは、何という喜び、平安であろうか。天の都の中央には「光る命の川」と両岸には命の木(どんな木だろうか!)と毎月実のなる十二種の木があって、ここには諸国の民も来れるらしく「木の葉がいやした」とある(黙22章)。これが天国の実体なのだ。ここには悪や一切の呪いがないうえ、永遠の世界なのだ。想像するだけでも胸が熱くなるではないか。この都に住むには、神を第一とし、この血肉の体を神に惜しまずに捧げ、用いられることである。
 ただし誰ひとり例外なく、試練や困難、場合によっては殉教という、都に住むためのテストに合格しなければならない。逆に言えば厳しい人生のテストに出会うことは、神の子とされ、エルサレムに住まう恵みにあずかるチャンスである。心から賛美し神の愛をどこまでも信じ、感謝したい。

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