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2016年1月 3日 (日)

神のみ心

マタイ 20章1-7節
  彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』

 パレスチナでは葡萄が熟すのが九月で、その後すぐに雨期が来ます。その前に葡萄を収穫しておかないと、葡萄が腐ってしまいます。ですから収穫期には人手が必要で、実際1時間だけでも働く人は歓迎されました。日雇い労働者は、朝、町の市場に立って誰かが雇ってくれるのを待っていました。使用人や奴隷と違って、雇用主がいない日雇いは、収入がなければ即、飢える恐れがありました。通常彼らは、朝6時から夕6時まで働きました。Photo_2

 今回新たに何点か気づいたことがあります。主人は9時と12時、午後5時に市場に行っていますが、「別な人たちが立っていた」とあるので、行く度に市場に居た全員を雇ったようです。その際、9時と12時の人には「相当なものを上げる」からと言い、5時の人には、その約束はしていません。通常は働いた時間に従って賃金が支払われますので、9時からの男には3/4デナリ、昼から男には半デナリ、5時から男にはよく出て1/10デナリぐらいの相場だったのではないでしょうか。次に賃金の支払いをこのたとえでは5時からの順にしています。私なら絶対朝6時の人から支払います。これは彼らの文句を引き出す意図があったと理解できます。

本題です。朝6時から働いた人たちとは「私たちは何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。何がいただけるでしょうか」とイエス様におねだりした、ペテロへの答えです。ここで天国での神の報いの基準が明瞭にされます。それは○○したからとかの功利的なものではなく、愛とあわれみの神が公平で正しくさばかれるのです。

 たとえ1時間しか働かなくとも、彼らには1タラントの資格がありました。仕事にあぶれ続け、雇ってくれる町々を探して歩いた彼らは、どれほどの失意や不安に苦しめられて来たことでしょうか。額もですが、最後のわずかなチャンスに望みをつないでいたのです。

 ぶどう園の主人(神)は自分の利益だけを見るのでなく、人の心と苦しみを見て判断される主人でした。私たちの神、主は愛とあわれみに満ちた存在なのです。このたとえで弟子たちを教え諭されたように、私たちもこの神の御心を知り、功利に走らずに仕え、どんなに不遇と失望とが来ようと、神に期待し、必ず報いてくださるかたであることを知り、希望と喜びを持って信じ従いましょう。

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