神の訪れの時
✝ルカ 19章44節
そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。
当時の宗教的指導者であったパリサイ人やサドカイ人は、聖書をよく知っており、メシアを待望していました。ところがイエス様がご自分のことを、数々の証拠を持ってメシアであると明らかにされても、受け入れないどころか、「人でありながら、自分を神だと言っている」として冒涜罪で最も残酷な十字架に架けました。
こうしてユダヤの民は神の訪れを拒み、殺し、自分たちの描いたメシアを待ち望みました。しかし当然ながらそのメシアは訪れずれることがありませんでした。紀元 65年、悪辣なローマ総督に対し暴動を起こし、翌 66年には民族をかけてローマとの戦いに発展しました。6万のローマ軍が派遣され、エルサレムは完膚なきまでに破壊され、生き残った民はこの後の二千年間も国なき民として、世界中を放浪することになったのです。メシアを殺し、「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。(マタイ 27章25)」と叫んだユダヤの民は単に国を失っただけでなく、歴史上類を見ないほどの過酷な旅が待っていました。
ロシアでのポグロム、ナチスのホロコーストなどの多くの犠牲を払いながら、ついに時が来て、1948年に聖書の預言通りイスラエルは元の地に再建されました。こうなった理由はただ一つ、イエス様という「神の訪れの時を知らなかった」、この誤まりに尽きるのです。ユダヤ人が犯した誤りを私たちは繰り返してはなりません。今生きている私たちが必ず迎えるだろうと思っていることに、黙示録の終末が来ること、同時にこの日本で非常な臨在の中、リバイバルが起こるのです。リバイバルの訪れを知らなかったでは済まされないのです。
未だにユダヤ人のほとんどは、イエス・キリストが救い主、メシアであることを認めません。そして同じようにほとんどの日本人も、イエス・キリストを信じようとはしません。キリスト教伝道が自由な国で、これほど福音が不毛な国はありません。しかし約四百年前、キリスト教のカトリックがこの国の十分の一の割合を占めたことがあります。しかし徳川幕府の弾圧によってキリスト教は抑圧され、封印されました。キリスト教の歴史上、これほど福音宣教が大規模に敗退した例はないことでしょう。
終末前の今日、イスラエルも日本も、クリスチャンの割合が奇妙に少ない数で一致しています。世界のリバイバルの起点・先駆けとして日本が、またその終点としてのイスラエルが備えられていると私は示されています。ユーラシア大陸の端点にあるこの二つたる国への神の計画は深遠です。私たちが神の訪れの時を同胞へ宣べ伝え、証しする器として用いられることでしょう。みなさん、目を覚まし、準備をしておくのです。
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