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2016年4月24日 (日)

マラ(苦い水)は何のためか

出エジプト 15章23節
彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。
 今日はイスラエルの試練を通して、試練の意味、どうして感謝するのかということを、学んでみたいと思います。
モーセはエジプトの王家一員として、 40才まで育ち、後の40年はシナイとアラビアで羊飼いでした。これはファラオとの交渉やその後民を導く者最適です。
「イスラエルの民の脱出ルート図解」                                          Exodus    
元王族ですから、ファラオを対決するのに一歩も臆することもありませんでした。この成功がただ神の力100%に依ったことを最もよく知っていたのでした。
 その契機となったエジプトの長子がみな殺される出来事ですが、イスラエル人は皆守られました。神が命じられた命令を守ったからです。それは一匹の傷のない一歳の雄の子羊を犠牲にし、その血をイスラエルの家の二本の門柱とかもいに塗ることでした。血で塗られた家だけが神のさばきを受けずに過ぎ去った、これは、イエス・キリストの犠牲という予表でした。
 
 脱出した後、イスラエルの三百万以上の民にとって、水が緊急課題でした。最初にたどりついたオアシス、マラには水があっても苦く、飲める水ではありませんでした。落胆し怒る民はモーセに詰め寄りました。このようなことは、この後幾度も繰り返されます。続くシンの荒野では食糧が尽きてパンと肉を求めました。その次のレフィデムでは同じように水を。その都度民は、「荒野で飢え死ぬより、エジプトで奴隷の方がよかった」と呟くのでした。
 マラで苦い水に木を投げ入れました。これも一つの予表です。一片の木を取ってそれを苦い水、つまり不信仰の民、または罪の底に沈めて、水は清められ甘くなった。その木とは十字架の木です。十字架という贖いによって罪が赦される予表でなのです。
 イスラエルの数々の困難試練は、見えるモーセにではなく、モーセを通して見えない神に救いを得る者となるためであり、またイスラエルの民を通してキリストの現れを示すためでもあったのです。みなさんの今の困難は、良い結果を期待しての結果、苦い水であったかも知れません。しかし固く信じて下さい。苦い水を通し、真に神の購いの恵みを受けるようにしておられるのです。決してあきらめてはなりません。  
聖書はこう言っています。 
「彼に 信頼する者は、失望させられることがない。」 ローマ 10章11節

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