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2016年5月15日 (日)

神を喜ばせる

ロ-マ 8章8節
肉にある者は神を喜ばせることができません。
 クリスチャンの目標とは、私の場合、神に喜んでいただけることです。この聖書箇所から逆に言えば「聖霊に満たされ、聞き従って歩む者は、神に喜んでいただける」と言う意味になります。
 南アフリカの偉大な伝道者アンドリュー・マーレーという人は、人間を①生まれたままの人、②クリスチャンですが、肉の力に左右される人、③聖霊が全き主権をもっているクリスチャンと、三種類に分けました。クリスチャンであるならば②か③のどちらかと言うことになります。ただ②については、本人だけの責任というだけでなく、教会の責任も相当あることでしょう。
 
 キリストの体である教会が、聖霊に満たされ、聖霊の支配が徹底して行くためには、世俗的な考え、世の常識で教会が営まれてはなりません。この点で会衆制とか長老制という多くの教会に見られる、一見民主的な運営制度というものは、モーセに幾度も立ち向かったイスラエルの民、コラの子孫のように、世的であっても神的ではありません。牧師が教会(または教会員)におもねることなく、神から召された使命を全うするために、最大の責任を与えられていなければなりません。民主主義にそぐわない制度かもしれませんが、牧師といえども実は神に聞き従う存在でしかありません。聖霊のバプテスマを受け、神に聞ける教会員であれば、多くの場合牧師と一致できるはずですし、たとえ理解できなかったにせよ、反旗を翻すことなく、体の部分同士、仕え合う存在となります。
 
 さてどうしたら聖霊に満たされ、全き主権を持つ…いわば聖霊に支配されるクリスチャンになれるのでしょうか。それは自分の体と心の主権を神に明け渡す…それも 100%完全にです。これは明け渡さないと受け取ることができない性質のもので、併存はできません。コップに汚れた水が少しでも残っていたら、どんなに清い水を入れても飲めないことに変わりが無いようなものです。神とサタンとは決して同居ができません。あなたのたましいは、神様に完全に捧げきっておられるでしょうか。
 
 イエス・キリストはすべての弟子に「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て来なさい」と仰いました。御霊はそのような自分を惜しまない、従順な者にだけ与えられます。従順して自分自身の肉体さえも死に渡します。その後に神がくださる栄光の体に比べれば取るに足りないものだからです。
 
 聖霊に満たされると、次の点が大きく変わってきます。まず、罪に打ち勝つ力、罪に対する勝利が与えられ実感するようになります。欲望や妬みや不安、不満の心が湧かなくなります。次に奉仕における力、例えば伝道において福音を語っていると、考えられない救いが起こってきたりします。また肉的な時に分からなかった聖書が、聖霊の力、手ほどきによって驚くべき理解が与えられるようになります。これらが聖霊の満たしに伴う現れです。
 
 みなさん、聖霊に満たされ、歩むことによって、神である主にお褒めの言葉をいただきましょう

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