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2016年5月22日 (日)

戦いの武器

コリントⅡ 10章4節
 私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。

 クリスチャンの中には、突然神が自分だけに語りかけてくださるとか、超不思議な出来事をおねだりする、特別な体験を中心に信仰を求めようとする方がいます。確かにいやしとか、不思議なことがこの群れではあり、神の栄光が現されています。しかし思い間違いをしてはなりません。そこには土台があるのです。徹底した聖書の学びと心からの祈りという土台の上にそれらは現されているのです。特に吟味の土台としての聖書を一番とせずに、不思議を求めることは大変危険です。
 孤児院で有名なジョージ・ミューラーは言いました。「霊的生活の活力は、生活と思想において聖書が占める位置に比例する。私はこのことを54年の経験からまじめに申し述べる」と。ルカ伝の16章31ではアブラハムが金持ちに言います。「もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない」と。不思議や奇跡を求めて、神の言葉である聖書に耳を傾けないのであれば、その業は空しいのです。
 私が最近、霊的なことに対して「神の言葉である聖書の御言葉を用いて」対応するようにと言うことを示されています。
 少し前でしたが、映画「ヤコブへの手紙」を観ました。引退した盲目のヤコブ牧師のもとへ、いろいろな悩みを相談する手紙が毎日来ます。ヤコブ牧師はなんと聖書を全部覚えており、返事は聖書の御言葉の一節の適用が中心でした。自分の考えや思いではなく、御言葉オンリーでした。当初私は、それで回答になっているんだろうか、と疑問に思ったものです。しかし後になってこれが、私に大きな手がかりを与えてくれました。
 考えてみれば、イエスさまが公生涯に入られる前、荒野で断食され、その後サタンから試みを受けられました。サタンからの誘惑に対し、イエス・キリスト様は自分の言葉ではなく、御言葉で答えらました。最初の答えが「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による」です。神ですら自分の言葉では答えられないのに、私たち、人に過ぎないものが、自分の言葉、つまり肉の言葉でサタンに対してよいものでしょうか。エペソ書にも、私たちが攻撃できる唯一のものは神の言葉という剣だとあります。ですから私たちは御言葉を自在に繰り出せるよう訓練し、御言葉で戦わなければならないのです。
 御言葉は啓示によって記されました。霊によって書かれたものは、霊によって読まねばなりません。各自の聖書の読み解き、心への刻みはお住まいの聖霊様によってなされなければなりません。
 イエス様は御言葉を用いて伝道されました。また御言葉で悪霊どもを追い出され、病気の人をみないやされました(マタイ8章16)。ヤコブ書1章21で「みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」とあり、1ヨハネの2章14では「神のみことばが、あなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからである」とあるのです。私たちは御言葉によって救われ、御言葉によってこの世の霊である悪霊に打ち勝つ存在です。

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