神にあわれまれているうちに
† ローマ 9章15節
神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ」と言われました。
我が国で最も成功した武将と言えば、徳川家康でしょう。その家康が生涯肌身離さず持っていた一枚の絵、それがご覧の家康しかみ像です。
常人なら失敗は、少しでも速く忘れて思い出したくないことでしょう。しかし家康の成功は、謙虚に自分の失敗を教訓とし、戒めたことだったのです。

イスラエルの人物中、もっとも祝福された人物はダビデです。イスラエル史上最大の領土を得て、子々孫々に至るまで王座を神に約束されました。ではダビデという人物が完璧な人であったかというと、逆に失敗の多い人でもありました。バテ・シェバのこと、民の数を数えたこと、子育ての父親として不甲斐ない父であったこと・・・・などです。今日はさらにその上塗りとして、致命的とも言えるミスを挙げましょう。それはダビデがサウル王から逃れるために、亡命先としてペリシテのガテの王アキシュに頼ったことです。
この時のダビデはサウル王に追われ、イスラエル内では自分の命が守れないと判断したのです。この時、明らかにダビデは神様の加護よりも サウル王を恐れていました。
しかしこれは窮地に陥ったこととは言え、みすみす仇敵の手に陥る愚か極まりない選択でした。ペリシテの英雄ゴリアテを倒し、サウルは千、ダビデは万と謳われたダビデをそのままにするはずがないからです。その絶体絶命の危機が、詩編34や56に歌として「捕らえられ、一日中殺されそうになった」と自ら綴っています。しかしこのピンチの結果は、単なる追放で終わるのですが、ダビデはこれがハッキリと「神の護り」であることを知っていたのです。そしてダビデはこの最大の失敗を徹底的に悔い改めるため、詩編にし、幾度も幾度も歌い、歌わせ自分に言い聞かました。
しかしこれは窮地に陥ったこととは言え、みすみす仇敵の手に陥る愚か極まりない選択でした。ペリシテの英雄ゴリアテを倒し、サウルは千、ダビデは万と謳われたダビデをそのままにするはずがないからです。その絶体絶命の危機が、詩編34や56に歌として「捕らえられ、一日中殺されそうになった」と自ら綴っています。しかしこのピンチの結果は、単なる追放で終わるのですが、ダビデはこれがハッキリと「神の護り」であることを知っていたのです。そしてダビデはこの最大の失敗を徹底的に悔い改めるため、詩編にし、幾度も幾度も歌い、歌わせ自分に言い聞かました。
ですからみなさん、過ちや失敗にも神の護りがあるのです。大切なことは悔い改め、そこから学び、神により頼み、堅く信仰に立つことです。失敗を生かすことです。試練はこのためにあるのかも知れません。失敗を以後二度と繰り返さないよう絵にし、歌にし、生かすならば、神に喜ばれ、ますます祝福される基となるのです。あなたの人生での失敗を益に変えましょう。それは失敗や過ちを記憶から消し去り、忘れようとするのではなく、逆です、大いに明らかにして学び、護ってくださった神に栄光を帰すのです。神はあわれもうとする者をあわれみ、恵もうとされる者を恵まれるのです。神の祝福の分かれ目は、自分を守るのか、それとも守らず神に目を向け、栄光を帰すかなのです。
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