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2016年6月12日 (日)

復活

コリント人への手紙Ⅰ 15章17節
 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
                          
 まだ公開中の映画「復活」は、イエス・キリストの十字架上の死と埋葬から始まります。その墓から三日目の朝になって、墓が空になったことから映画の展開が始まります。十字架につけた祭司長たちやローマ側は、その遺体が復活ではなく、弟子たちに盗まれたことにしようとします。そのためキリストの遺体を、ローマ軍の威信にかけ、あらゆる手段を尽くして探すのですが、事実でないものはあるはずがありません。窮地に立たされた責任者であるローマ軍司令官のクラヴィアスは、捜索を通して復活の事実に迫り、ついに実際にキリストに出会います。このクラヴィアスは作者の創作ですが、彼以外の人物はみな、聖書に忠実に描かれているのも特徴です。
 
 映画は三つの結果を描いています。一つはキリストの遺体、遺骨が結局は見つからなかったこと。二つ目は番兵たちの証言や祭司長たちがどれほど虚偽を言い立てようと、復活したキリストに会った多くの人々の事実を打ち消すことはできません。三つ目はキリストの復活が血肉の体ではなく、御霊の体であることを明確にしていることです。

 さてキリスト教の根本である復活は、案外これまでは十字架ほど重視されて来なかった傾向があったと私は思います。その理由として、よみがえることからして理解し難いことなのに、血肉ではなく、御霊の体としての理解が一層困難であったと推察されます。しかし本日の聖書箇所にある通り、もし「キリストが(御霊の体で)よみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今なお自分の罪の中にいる」のです。本日は復活がどれほど大切なことなのか、皆さんと共に学んで行きたいと思います。
 
 十字架は罪の赦しと贖いの業です。ならば復活は死を打ち滅ぼし、永遠のいのちの保証です。御霊の体は朽ちず、その体を持つ者は、永遠の霊が住む実際の体、言わば天上の体です。キョンシーやふわふわした実体のない霊だけの体ではありません。食べることも瞬間移動することもできる実体のある体です。これがもし天国に行けなかった人の場合、滅びることのない囚われた体を通して、永遠に苦しみを受け続けることになります。御霊の体は血肉の体より強く、朽ちない不死の体であり、天的で自由であり、喜びと栄光の体です。
 
 クリスチャンが御霊の体を与えられるチャンスは、聖書で見る限り三回あります。特に最初の空中再臨では、先の聖徒たちが先ずよみがえり、次に携挙されたクリスチャンたちが生きながら御霊の体に変えられます。御霊の体になるには終末の神の時があり、順番があります。私たちは、携挙されるよう熱心に祈り、御霊の証印を手放さずに待ちましょう。

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