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2016年7月 3日 (日)

聖書の恵み

Ⅱペテロ 1章20~21節
 1:20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
 1:21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
 
 昨今ダッカやイスタンブールなど、 ISのテロ攻撃が激しさを増しています。アルカイダや IS、これらイスラム過激派の自爆攻撃は数十年前に出た異教徒へのテロをジハード(聖戦)とする理論とそれを追認したファトワー(高位のイスラム法学者による勧告)が背景にあります。自爆したテロリストは天国で目が覚めると思っているようですが、どう見てもそこは地獄の業火のただ中でありましょう。ですから本当の犠牲者は彼ら実行犯かも知れません。そういう意味でテロに宗教的な解釈を施し、教えた指導者の罪とは、実に恐ろしいもがあります。この誤った教えを健全なイスラム自身の手で正すこと、それがイスラム過激派の問題を解決することになると私は思います。
 
 これが聖書を中心としたプロテスタントであったなら、聖書という絶対的な規範があります。神ご自身が書かれた聖書は難解かもしれませんが、曖昧さがありません。また聖書は自分の考え、私的な解釈を施してはなりません。その例をマタイ22章を見ていきましょう。イエス様に論争を挑んだパリサイ人が論破され、次はサドカイ人の挑戦です。復活を信じないサドカイ人にとって、もしかしてこの七人の兄弟と結婚した兄嫁のたとえ話は、パリサイ人を黙らせる決め手であったかも知れません。
 聖書は誤りなき神の言葉です。神であるイエス様はサドカイ人の誤りを「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからだ」と一喝されました。復活の朽ちない体は、つまり御霊の体は滅びることがないので、男女である必要はなく、夫とか妻の考えが無用であると語られたのです。
 
 さらに「『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」(マタイ 22:32)と語られました。これは彼らが死んでいないと受け取る方もおられますが、そうではありません。神が死んだ者たちを復活させられて、彼らがまた生きるということを明言されたのです。「神が死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」とは、神に属する者については、今の体が滅ぶが、しかし彼らはもっと良い体で生きて復活すると言われたのです。これには次のみ言葉が当てはまることでしょう。
 
「イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、 死んでも 生きるのです。」(ヨハ 11:25)
 聖書は先に自分の考えがあって、それに当てはめるような私的な解釈をしてはなりません。分からない所は他の聖書箇所を参照したり、祈り、聖霊に導かれてください。それには時もかかるでしょう。しかし神は最善のタイミングで必ず答えてくださいます。なぜなら聖書を書かれた執筆者、神様にお聞きするのが確かな方法だからです。

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