受けたと信じる信仰
† Ⅰヨハネ 5章15節
私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
聞き従いの土台とは何でしょうか。聞くことは神から聞くということですから、まず神の声が聞ける、分かるということが前提でしょう。
私たちの群れでは、聖霊のバプテスマを受けていることが前提になっています。しかしこれは聖霊の満たしの最初であって、スタート台に立ったに過ぎません。ところがもうこれで大丈夫と安心して、スタート台に留まり続けている方がいるかもしれません。また聖霊のバプテスマを受けたかどうかが判らず、霊的に不安定な信仰生活を続けておられる方がいるかもしれません。ですから「聞く」という段階もまずしっかり押さえる必要があります。
私たちの群れでは、聖霊のバプテスマを受けていることが前提になっています。しかしこれは聖霊の満たしの最初であって、スタート台に立ったに過ぎません。ところがもうこれで大丈夫と安心して、スタート台に留まり続けている方がいるかもしれません。また聖霊のバプテスマを受けたかどうかが判らず、霊的に不安定な信仰生活を続けておられる方がいるかもしれません。ですから「聞く」という段階もまずしっかり押さえる必要があります。
ではどのようにして神の声を聞くのでしょうか。私はシンプルなたった一つの方法しか知りません。それは「祈る」こと、それだけです。この祈り、ちょっとやそっとの祈りではなく、徹底的に祈ることです。多くの方はみな祈りの大切さは認識されても、しばらくすると挫折されます。私もなりかけました。一人「ヤルゾ!」と心定めて祈ろうとしても、1時間すら祈れず、眠くなるか、集中力を失って空しくなってしまうのでした。
祈ることの大切さに気づいたのは良かったのですが、自分の力でやろうとして失敗したのです。祈りには以下のように正しい神との関わり方、順序、方法というものがあります。
① 神の前に正しい在り方で祈る〜心に一切の憎しみ・悲しみ・心の傷を取り扱われて祈
る。 許せない人、ちょっと避けたいと思うような人が心の片隅にでもあるなら、聖いとのお交わりに壁があるようなもので、十分なお交わりはできません。神は「あなたの敵を愛しなさい」と命じておられるのですから。
② へりくだった謙遜を慕い、心から悔い改める~神に自分の全てを捧げる心をもって、いっさいの肉的な自分を取り扱っていただきましょう。伴侶であろうと、家族であろうと、神以上に愛し、大切なあってはいけません。
③ 最後に神様との自分の関係を再点検します~神は「主」、自分は「僕」。自分の願い事ばかりを祈ってはいないでしょうか?それは主に駄々をこね、困らせることになってはいないでしょうか?主は最善のことしかおできになれません。自分の良かれと思うことより、主の御心が最善であり、優先します。ですから常に「主の御心を求め、聞き従わせてください」と願いつつ祈るのです。主人の指示をずっと忍耐して待つのはしもべとして当然です。勝手に行動したりはしません。それは待つという姿勢の中に、主への信頼が現されているからです。
要するに受けたと信じるポイントは、主を主として信頼する祈り、その交わりです。雑踏の中においても家族の声は鋭く聞き分けられるように、主と親しく交わっている者は主をよく知っており、間違うことはほとんどありません。「聞く」ということは、ラッパの音のように突然語られたりすることは少なく、ほとんどは祈りの中から聞き、聞いたことを即座に確信する事であると言えます。 ケパ
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