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2016年8月

2016年8月28日 (日)

自分の胸をたたいて

ルカ 18章10~14節
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
 
今の私たちの血肉の体と命には、創造の目的があり、聖書が答えています。永遠のいのちを得る為です。この永遠の命は、御霊の体として存在し、フワフワとおばけや霊のままではありません。復活のキリストと同じです。
 つまり今の老化し、滅ぶ体から滅ばない永遠の体へ。その体は食べ・眠って・運動を普段にしなければならない今の制約から解放されています。壁や遠方などの物理的な制約もありません。滅ばないので男女の性は不要ですし、生存や所属などの社会的欲求からも解放されています。血肉のごく短い命のある中での選択が永遠の行方が定めるのです。
 
 さて、本題のパリサイ人と取税人の祈りに話を戻したいと思います。二人とも天国に行きたい人たちです。パリサイ人は社会的には上位の暮らしをしており、宗教的に熱心で律法を忠実に守り、人々から尊敬され、まっ先に天国へ行ける人だと思われていました。
 取税人は今の税務署の職員とは全く異なります。ローマへの税をプラスαして私服を肥やす、憎きローマの占領支配、そのお先棒を担いだ売国奴であって、道徳心のない罪人だと見られていました。全く対照的な二人でした。
 
 しかし神の目は人と異なります。パリサイ人が取税人を見下したのに対し、その取税人は胸を叩いて罪を悔い、神のあわれみを求めて祈っていました。パリサイ人がどんなに律法を守って行いに励んでいたとしても、それは枝葉末節の部類であって、最も肝心な律法、愛を失い高ぶって裁いていたのは明白です。神はどんな罪人であろうとも、悔い改めてあわれみを求める者に目を留められます。これは聖書(マタ9:13等)にある通りです。神は愛だからです。
 
  今の血肉の体があるのは、この間に私たちが永遠の命を求めるため、得るためです。そして得たのであれば、何よりも神の御心が行うことです。そのためには祈りの人でなければなりません。そのために主は十字架にかかり、罪を赦し、聖霊を私たちにくださいました。血肉の体を持っていたとしても、今や聖霊が私の人生の主なのですから、絶えず祈りによって聖霊様を心の王座にお迎えし、聞き従わなければなりません。さらに聖霊様は力ある方ですから、九つあるその賜物によって、御自身の計画を進めて行かれます。
つまり、血肉の体がある真のクリスチャンは、この世での神の働きを共にする者となります。神の愛を運ぶ器とさせられ、その栄光を現す存在となるのです。
 

2016年8月21日 (日)

神はどんなこともできる

マタイ 19章26節
イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」

 霊的な存在は神・天使・人間と三つあります。しかしこの霊的な存在に多くの人は気づきません。風や匂いは見えなくても分かりますが、霊の存在がわかる人は少ないのです。
 そしてこの三種類の霊にはランクがあって、力の強さもこの順です。天使の中には堕天使も含まれます。堕天使には悪いもの、つまり悪魔とかサタンと呼ばれるものがおり、その配下にたくさんの堕天使、悪霊がいるわけです。
 
 天使というものを見ますと、これは霊的な意味で力があるにも関わらず、人間のために造られた存在(ヘブル1:14)であることがわかります。すると霊的な存在の主舞台は、何と言っても人間の争奪戦、人間が舞台であることがわかります。つまりサタンは敗北することはすでに知っていても、なお神に逆らって一人でも多くの人間を虜にし、何とかして神の計画を少しでもそこねて、地獄へ落ちる仲間を増やしたいわけです。
 
 先に人間のほとんどはサタン、また悪霊に気づかない、と申し上げましたが、「気づかない」ということは、彼らの得意技、騙しにあっているのです。人が気づかないまま、世での命を尽きさせることが彼らのねらいです。また、霊的な存在に気づき、何とかしようとしても、聖書を信じ、永遠のいのちを得るクリスチャンになる、これは人の選びや努力だけではずいぶん困難です。ですから十字架のキリストを信じた人と言うのは、自分が信じられたわけではなく、神のあわれみと力によったということがお分かりだと思います。
 
 人間というもの、実に不思議な存在です。水や石と違って血肉の身体があり、血肉の命があります。血肉であるというのは「見える」という問題が生じます。なまじっか物質的に見えるため、霊的な視力が無くなるのです。この問題を本日、祈りの中で見ていきましょう。祈りは私たちクリスチャンにとって、まさに空気や水、食のように大切な、死活的なものです。祈りによって私たちの思いや煩い、願いを神に知っていただき、そして御心かどうかがわかるのです。もし御心だと知れば、それは必ず叶うことを告白するのです。特に携挙などをいつも祈って行きたいと思います。その際は携挙の3条件を神の力によって満たしていただけるよう祈りましょう。
 
 ただし、ここからが大切なのですが、思い煩いの一切捨てなければ(1ペテ5;1)なりません。このことも祈る事によって神様が助けてくださるのです。みなさん、重荷を主の下に降ろして、解放されましょう。これは御心ですから、私たちは解放されます。やがて最善の計画を用意してくださっている天の国の様子が分かるとよいね。
私たちの国籍は天にあります。天国が楽しみです。

2016年8月14日 (日)

神の愛

Ⅰヨハネ 4章16節
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

 人はよく次のようなことをつぶやきます。私はひどい人間だ。徹底した自己中心でエゴイスト。自分よりも神を、隣人を大切にすることが愛なら、自分は一度だって人を愛したことはない。自分は人前では取り繕っているが、偽善家で情けない人間だ。だからこんな自分は誰からも愛される資格はない。しかも取り柄のない不出来な失敗作の自分だ。他の人よりすぐれたところなど何もないない。こんな自分はきっと生きていても、迷惑な存在なのだ。神だって、こんな人間を愛するなんてできるわけがない・・・・と。
 
 しかし神はあなたを、母の胎の前から知っておられ、選んで母の胎の中で形造られたのです。ですから神はあなたをあなた自身よりよく知っておられるのです。私たちの罪の状態も、救いようのない心の状態も、そして今の心もすべてご存知なのです。それだけではありません。全知と言って、神は生まれる前も、今も、そしてあなたの人生の終わりまでご存知です。その方があなたを愛していると言われているのです。
 
 当然、神はあなたが自分で失敗作だと思っていようがいまいが、あなたを造られた方なのですから、そのあるがままを知っておられ受け入れて、愛していてくださっています。人間の親ですら、生まれて来た我が子が不出来だろうと、問題があろうと、この子は自分の子でないなどとは決して言わないでしょう。ですから神はあなたを決して見捨てられませんし、その愛が変わることがありません。これを信じることで、私たちは子としての実質を受け取ることができ、人生を最高のものとしてくださる特権をゲットするのです。
 
 ただ神さまは聖い方ですから、過失はともかく、導かれた悪い所、神さまの方に向いていなくて犯した罪は悔い改めてください。神は十字架のあわれみで必ず赦してくださいます。
 次に試練のことですが、自分に子どもが出来るとよく分かります。親としてはわが子に最高の人生を送って欲しいと願います。愛しているからです。それで生きていくのに必要な勉強が出来なければできるよう、一生懸命励ましたり、注意したりします。でも「あれっ」と思うわけです。自分の時はこうまで熱心ではなかった、と。神さまも同じです。最高の人生を私たちに送らせたいので、励ましたり、注意したり、懲らしめたり(ロマ 2;4、黙示3:19 )されるのです。そのような訓練、試練を与えられず、放任されたままであったら、それは実の子とは言えません 【ヘブル12:8】。
 
神さまは私たちに最高の人生を送って欲しいと願っておられ、その愛が私たちに注がれているのです。しかもミスの多い人間の親と違って、神の守りは完全です。聖書に繰り返しあるように、神は人間を愛していてくださるのです。そうなると私たちの側では神の愛を「信じる」と言うことが、何をさておいても重要となります。ただ一つお願いです、わたしたちはこの神の愛から、決して逃げ出したり、途中下車してはいけないのです。

2016年8月 7日 (日)

悪魔に立ち向かえ

 ペテロ 5章7~9節
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
5:9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。
 孫子の兵法に、「敵を知り 己を知らば 百戦危うからず(彼を知り己を知れば百戦殆うからず)」という言葉があります。
そういう点から私たちクリスチャンの敵であるサタンについて、知るということは戦いに非常に重要です。サタンが狙う獲物の内でも、クリスチャンは最高に価値あるもので、それ故クリスチャンは絶えず狙われていると自覚すべきです。サタンの第一原則は、正体がバレないよう知られないようにし、宿り主を支配することです。第二にサタンは私たちの一番の弱点を察知し、魚釣りのように実にタイミングよく突いて攻めて来ます。第三にサタンの本性は偽りです。だましの名人とでも言うべきです。
 
 
今日の聖書箇所にあるように、神のみ心から離れて「思い煩い」をしたり、恐れや不安に陥ると、サタンの獲物になる条件を満たし、サタンの集中攻撃を浴びるはめになります。そのことを「だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられる」(マタイ 13:12、25:29)とみ言葉が説明しているのです。その状態をはやく脱出しないと、持っているものまで無くなってしまうのです。
 
 
ではどうすれば良いか。この時神さまは「堅く信仰に立って、サタンに立ち向かう(1エペソ 5:9)」のです。ただし、自分の力で戦わないようにしてください。神にご自分の罪をあらいざらいすべて告白し、熱心に祈しを求め、赦されて、神の力「イエス・キリストの御名によって」と神の力で戦うようにしてください。私たちはサタンよりは弱い存在ですが、背後に神が共にいてくだされば、必ず勝利するのです。神は十字架ですでに勝利を取られているのです。
この戦いにおいて大事なのは、まず今の状態をありのまま正しく認識し、サタンに気づくこと。次に下記のような「み言葉」を掲げ、「祈り」で戦う決心をすることです。映画「祈りの力」をただ観て終わりにしてはいけません。ご自分に適用し、戦って勝利を取ってください。
 
○映画「祈りの力」の聖書箇所から:第二歴代  2:14、マタイ 6:14 、Ⅱテサロニケ 3:3、Ⅰヨハネ 1:9など
○私の推薦するあらゆることに適用できるみ言葉: 「神にとって不可能なことは一つもありません」(ルカ 1:37)

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