罪におおわれた人は幸いです
† 詩篇32篇1節
幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
聖書の中には様々な人物が描かれていますが、どんな偉大な人物であっても、例外なく、みな失敗をし、それを余すところなく描いています。中でも最も偉大な人物が、実は最も罪を犯し失敗した人物だと言うのは、これは普通の事ではありません。ダビデがそうです。
少年ダビデは羊飼いでしたので、この絵は自分の羊のため にはライオンすら恐れず、打ち殺していた絵です。ペリシテ軍の巨人戦士ゴリアテも、ダビデによってたった一発の石投げで倒されました。その時ダビデは 「この戦いは【主】の戦いだ。」(Ⅰサム17:47)と言っていますので、ダビデは子どもの時から、油注ぎによる神の特別な力があったことがわかります。
またダビデは長い間、サウル王から逃げ回り、最後には外国にまで逃げました。その苦労も、サウル王が宿敵ペリシテ人によって殺されてから解放されました。時にダビデが四十歳の時でした。その後七年間のユダの王を経て、三十三年間、全イスラエルの王でした。
このダビデ王の時代に、イスラエルは史上の最大の領地や勢力範囲を持ちます。その広さはユーフラテス川からエジプト川に当たる広大な地域であって、アブラハムに神が約束された大イスラエルそのものでした。ただダビデだけがこれを実現した人物だったのです。その恵みの家系はイエス・キリストまで続き、真に祝福された王の中の王というべきでしょう。
しかしダビデは十戒という律法の中の律法の内、一つでも重罪ですが、五つも犯した人物です。隣人の妻を盗み、姦淫をし、忠実な部下たちを殺しました。本来ならば神に裁かれ、打たれてもおかしくない状況でしたが、刈り取りはあったものの、基本的には赦されて、祝福は揺らぐことがありませんでした。なぜでしょうか?そうです、ダビデが即座に悔い改めて、神に赦しを請うたからです。悔い改めて、すぐにごめんなさいを言う。これに勝る祝福は絶大なものがあるのです。
この世では王という何でもまかり通る地位についても、ダビデは神の前では高慢にならず、子どものごとく謝り、赦しを請うからでした。このことは、私たちがどのような失敗や間違いをしたとしても、心から悔い改めるなら、神は必ず赦してくださり、祝福が失われることがないことをあらわしています。
ですので、恐れることなく、いつまでも謙遜に、子どものごとく神に赦しを求める者であり続けましょう。天の御国に帰るその時まで。
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