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2016年11月 6日 (日)

2017ガリラヤ湖 新年礼拝

ヤコブ 2章17節           (東京アンテオケ教会 パウロ秋元牧師)
  
「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」
 
  この箇所が示されたということは、主が「信仰を実際に行いなさい、使いなさい」と強く語られたのです。信仰は使わなければ、死んだも同然です。リバイバルが始まり、世間一般の未信者に対し、神の動き、その業が現される段階に入ったということでしょう。
 
  実際、信仰を用い働かせなければ、何事も起きません。信仰を働かせなければ、神様の方も動けません。私たちが信仰を用い働かせるということは、神の計画と業を現し、その計画を大いに進めていくことになります。さてそのためには、その土台となる原則が三つあります。
第一に、祈ること。
第二に、感謝すること。
第三に、悔い改めること。
 
  祈りについてですが、何を求めてなのか、具体的にはっきりと求めましょう。祈りは、はじめは聞かれず、あたかも霧の中にいるですが、信じ祈り続けるなら、神がいかに素晴らしいことをしてくださっていることかがわかるようになります。祈りで人生が変わります。ただしそれは、1ヨハネ5:14-15にあるように、御心の祈り求めであるのが前提です。
  感謝には、表面的にでもとにかく感謝する段階から、神を崇めて心から感謝する段階があり、ついに信仰の告白をする段階があります。
  悔い改めについては、いうまでもなくこれは信仰を用いる土台であって、主はこれを喜んでくださいます。またこれは砕かれ、より聞き従うことに発展していきます。
 
  信仰の歩みは、不可能と思っても示されたことを、むやみやたらではなく、御心を確認し、聞き従った時から始まります。信仰の行いを踏み出したならば、最後まで行い続けるなら、印と不思議、リバイバルの大いなる業が現され、神の栄光となっていくのです。      Capha

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