2017年間聖句 講解
† ヤコブ2章17節
それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
この御言葉の意味するところですが、英語ではworkとあるように、信仰とはそれを働かせ、用いなければそれ自体、意味のないものです。どう働くのでしょうか? 「受けたと信じる」信仰のことです。
*Even so faith, if it hath not works, is dead, being alone. (James2:17)
*Even so faith, if it hath not works, is dead, being alone. (James2:17)
しかし信仰を働かせるには車で言えばガソリン、燃料がなければなりません。ガソリンも無いのに、信仰を働かせることはできないのです。ではどうやってガソリンを得るのでしょうか。それは先ず教会にちゃんと出席し、教会の恵みにあずかることです。入院するとどうしても教会に行けませんが、「病院でだって礼拝できる」と一人がんばっても、教会の恵みはないのです。ですからどんな理由があろうとも教会です。教会に行かなくては神とその霊の力は、必ず衰えるのです。
次に日々聖書を読むこと、御言葉を信頼し、神の言葉の力に立つことです。聖書は私たちの唯一の信仰の規範です。聖書だけが全ての吟味の土台です。三つ目は祈りです。祈りを通して私たちは「受けたと信じる」確信に至り、信仰に立つことができるのですから、特別に重要です。祈り、答えられる、「受けたと信じる」。これこそクリスチャン生活の特権であり、醍醐味です。これが有る無しではまったく異なったクリスチャン人生になります。
補足しますが、この三つのガソリンを得る土台に、属している教会の信仰も大きく影響します。例えば癒しを信じていない教会では、癒しは起こりません。信仰がないからです。神は祈りに必ず答えてくださるという信仰がなければ、それは多くの場合、答えられないのです。「感謝」や「聞き従い」という信仰の用い方にも、教会の信仰がなければ、なかなか得ることができないものです。ですから自分の教会がどのような信仰を持っているのか、それがまずもって重要です。
最後に信仰書を読まれることをオススメします。祈りについてはジョージ・ミューラーのもの、信仰そのものについては田中まさお師やチョー・ヨンギ師などの書物をお勧めします。信仰を奮い立たせる証に満ちたこれらの信仰書によって、信仰も大きく変えられて行くのです。
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