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2016年11月

2016年11月27日 (日)

奇蹟をもたらすレーマ

ローマ 10章17節
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
  ロゴスとは誰もが共有できる知識や理解を指します。ではレーマとは何でしょう。「聖霊が、聖書のある所定の聖句を用いて、有る特定の個人に適用し、それを生きたものとする」ことだと定義されています。
 
本日の聖書にある、「信仰は聞くことから」の「聞く」と言う言葉は、ただ意味がわかった、理解したというロゴスのレベルではありません。「信仰は聞くこと」とは、誰から、何を聞くのでしょうか。御言葉を読み、祈り、あるいは預言などで、普段の理解を超えて、神がみ言葉を通して語られ、開かれたことからその方に信仰が興されたことを指すのだと思われます。これがレーマです。私たち主の十字架は、信仰の書である聖書からのレーマを求めて祈っているという面が非常にあるのです。
 
多くの人は、「神の声を聞いた」と思い違いをしたことが何度もあるのではないでしょうか。信仰はレーマを聞くことから始まります。神の言葉、レーマを受けるには、サタンはもちろん、自分の肉の声から離れていなければなりません。ですから強い願いがあったとしてもそれはさて置き、感謝してすべてを神に委ね、神のみ心に従えるように心を白紙というか、中立にしておくことがその土台です。そして決定的なのは「時」です。明日まで、とか「今すぐ」のような、神の計画に制限をかけるようなことをしてはなりません。神の時が待てる忍耐も信仰の土台です。
 
レーマが無ければ私たちの霊は飢え乾きます。常にレーマを求め、交わっていることによって、神のみ心がわかり、父の声がよくわかるようになります。そしてその声を知っているので間違うことも少なくなります。
 
神は終わりの日、迫害で多くの殉教者を出したこの国を見捨てて通り過ごされることはありません。どんな時も秩序を守ろうとし、理性的に考えようとするこの民は、現在は世界で最も不信仰の民でもあります。しかし日本に対して神は、常識や理性を超えた奇蹟をもってリバイバルを起こしてくださることを私は確信しています。それは神の声に聞き従う者を通して起こされます。あり得ないことである山をも動かす信仰や奇蹟は、レーマを通して起こされるのです。
みなさん、神を求め、リバイバルの器としていただきましょう。

2016年11月20日 (日)

神がまず私たちを

 1ヨハネ4章19節
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
今年の年間主題は、要は「信仰を用いる、働かせる」でした。その土台として①教会生活をしっかりと送る、②聖書を常に読み、学ぶ、③祈ること、でした。これらの上に感謝と賛美、聞き従いという信仰の行いがあります。
 
なんだ、それなら従来とおなじ じやないかと思われることでしょう。ただそれを「具体的に働かせ、用いる実践しましょう」に力点が置かれているのです。
この実践には一つの明確な目標があります。それは「受けたと信じる信仰(マルコ11:24)」の段階に進むことです。
 
ところでこれらの信仰の土台、およびその実践において、忘れてはならないのが「愛」です。この愛はあらゆるものの、土台の中の土台です。愛はどこから来るのでしょうか? それは自分の内に、およそ愛などが全く無いと自覚した時です。その時初めて、こんな惨めな私のために十字架にまで架かってくださった、神の愛がわかるのです。
 
試練は、実はこのためにあります。逆に言えば、罪を深く認識し悔い改め、神に己を捧げることができたなら、内なる試練はその目的を達成し止むのです。
最後に皆さんにぜひ、お願いがあります。内住される聖霊様をはっきりと認識してください。サタンはよくわかりますよね。疑わせ、うらやましくなり妬む心、すぐのぼせ上がって高慢になる、それらの心です。しかしそんな方でも、聖霊というもう一つの人格が、自分の内におられることには無頓着な方が多いようです。目と耳がまだ開かれてないと言うべきなのでしょうか。
 
これは聞き従いとか、信仰の実践においては極めて問題です。なぜなら見分け、吟味が弱いということになるからです。ですから今後は、声なき声、か細いお声を求めて祈り続けてください。これには長い時間がかかるかも知れません。でもその祈りのすべては天において聞かれています。忍耐を持って祈り続けるなら、必ず答えられ、神を知ることができます。

2016年11月13日 (日)

2017年間聖句 講解

ヤコブ2章17節
それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
この御言葉の意味するところですが、英語ではworkとあるように、信仰とはそれを働かせ、用いなければそれ自体、意味のないものです。どう働くのでしょうか? 「受けたと信じる」信仰のことです。
Even so faith, if it hath not works, is dead, being alone. (James2:17)
しかし信仰を働かせるには車で言えばガソリン、燃料がなければなりません。ガソリンも無いのに、信仰を働かせることはできないのです。ではどうやってガソリンを得るのでしょうか。それは先ず教会にちゃんと出席し、教会の恵みにあずかることです。入院するとどうしても教会に行けませんが、「病院でだって礼拝できる」と一人がんばっても、教会の恵みはないのです。ですからどんな理由があろうとも教会です。教会に行かなくては神とその霊の力は、必ず衰えるのです。
 
 次に日々聖書を読むこと、御言葉を信頼し、神の言葉の力に立つことです。聖書は私たちの唯一の信仰の規範です。聖書だけが全ての吟味の土台です。三つ目は祈りです。祈りを通して私たちは「受けたと信じる」確信に至り、信仰に立つことができるのですから、特別に重要です。祈り、答えられる、「受けたと信じる」。これこそクリスチャン生活の特権であり、醍醐味です。これが有る無しではまったく異なったクリスチャン人生になります。
 
 補足しますが、この三つのガソリンを得る土台に、属している教会の信仰も大きく影響します。例えば癒しを信じていない教会では、癒しは起こりません。信仰がないからです。神は祈りに必ず答えてくださるという信仰がなければ、それは多くの場合、答えられないのです。「感謝」や「聞き従い」という信仰の用い方にも、教会の信仰がなければ、なかなか得ることができないものです。ですから自分の教会がどのような信仰を持っているのか、それがまずもって重要です。
 
 最後に信仰書を読まれることをオススメします。祈りについてはジョージ・ミューラーのもの、信仰そのものについては田中まさお師やチョー・ヨンギ師などの書物をお勧めします。信仰を奮い立たせる証に満ちたこれらの信仰書によって、信仰も大きく変えられて行くのです。

2016年11月 6日 (日)

2017ガリラヤ湖 新年礼拝

ヤコブ 2章17節           (東京アンテオケ教会 パウロ秋元牧師)
  
「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」
 
  この箇所が示されたということは、主が「信仰を実際に行いなさい、使いなさい」と強く語られたのです。信仰は使わなければ、死んだも同然です。リバイバルが始まり、世間一般の未信者に対し、神の動き、その業が現される段階に入ったということでしょう。
 
  実際、信仰を用い働かせなければ、何事も起きません。信仰を働かせなければ、神様の方も動けません。私たちが信仰を用い働かせるということは、神の計画と業を現し、その計画を大いに進めていくことになります。さてそのためには、その土台となる原則が三つあります。
第一に、祈ること。
第二に、感謝すること。
第三に、悔い改めること。
 
  祈りについてですが、何を求めてなのか、具体的にはっきりと求めましょう。祈りは、はじめは聞かれず、あたかも霧の中にいるですが、信じ祈り続けるなら、神がいかに素晴らしいことをしてくださっていることかがわかるようになります。祈りで人生が変わります。ただしそれは、1ヨハネ5:14-15にあるように、御心の祈り求めであるのが前提です。
  感謝には、表面的にでもとにかく感謝する段階から、神を崇めて心から感謝する段階があり、ついに信仰の告白をする段階があります。
  悔い改めについては、いうまでもなくこれは信仰を用いる土台であって、主はこれを喜んでくださいます。またこれは砕かれ、より聞き従うことに発展していきます。
 
  信仰の歩みは、不可能と思っても示されたことを、むやみやたらではなく、御心を確認し、聞き従った時から始まります。信仰の行いを踏み出したならば、最後まで行い続けるなら、印と不思議、リバイバルの大いなる業が現され、神の栄光となっていくのです。      Capha

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