奇蹟をもたらすレーマ
† ローマ 10章17節
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ロゴスとは誰もが共有できる知識や理解を指します。ではレーマとは何でしょう。「聖霊が、聖書のある所定の聖句を用いて、有る特定の個人に適用し、それを生きたものとする」ことだと定義されています。
本日の聖書にある、「信仰は聞くことから」の「聞く」と言う言葉は、ただ意味がわかった、理解したというロゴスのレベルではありません。「信仰は聞くこと」とは、誰から、何を聞くのでしょうか。御言葉を読み、祈り、あるいは預言などで、普段の理解を超えて、神がみ言葉を通して語られ、開かれたことからその方に信仰が興されたことを指すのだと思われます。これがレーマです。私たち主の十字架は、信仰の書である聖書からのレーマを求めて祈っているという面が非常にあるのです。
多くの人は、「神の声を聞いた」と思い違いをしたことが何度もあるのではないでしょうか。信仰はレーマを聞くことから始まります。神の言葉、レーマを受けるには、サタンはもちろん、自分の肉の声から離れていなければなりません。ですから強い願いがあったとしてもそれはさて置き、感謝してすべてを神に委ね、神のみ心に従えるように心を白紙というか、中立にしておくことがその土台です。そして決定的なのは「時」です。明日まで、とか「今すぐ」のような、神の計画に制限をかけるようなことをしてはなりません。神の時が待てる忍耐も信仰の土台です。
レーマが無ければ私たちの霊は飢え乾きます。常にレーマを求め、交わっていることによって、神のみ心がわかり、父の声がよくわかるようになります。そしてその声を知っているので間違うことも少なくなります。
神は終わりの日、迫害で多くの殉教者を出したこの国を見捨てて通り過ごされることはありません。どんな時も秩序を守ろうとし、理性的に考えようとするこの民は、現在は世界で最も不信仰の民でもあります。しかし日本に対して神は、常識や理性を超えた奇蹟をもってリバイバルを起こしてくださることを私は確信しています。それは神の声に聞き従う者を通して起こされます。あり得ないことである山をも動かす信仰や奇蹟は、レーマを通して起こされるのです。
みなさん、神を求め、リバイバルの器としていただきましょう。
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