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2017年1月 1日 (日)

神の住所

エペソ 3章16~17節
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。

 日本人は今朝の元日、日頃は心にもかけず、信じてはいずとも、慣習か、またはわずかに残っている宗教心のためなのか、神社に詣でるようです。私たちのキリスト教の神さまは天地万物を創造された神です。偶像などに置き換えて拝まれることをたいへんお嫌いです。
 ではいったいクリスチャンどこを指し、どこを向いて、神を拝めば良いのでしょうか。よく「天にまします父よ」と祈りますので、天の方を向いたら良いのでしょうか。しかし日本とブラジルとでは、天の方角がまったく違うではありませんか。神はどこに居られるのでしょうか。イエス様が帰られた所、エルサレムのオリーブ山の上の方なのでしょうか。いえ、実はこのような特定の住所探しは愚かです。三位一体の神は時空を超えて遍在されており、どんなところにも居られるのです。
 それでもあえて「神の住所はどこ?」に答えるなら、神は神を信じる者の心の中に住んで居られます。今日の聖書箇所にあるように、聖霊なる神がクリスチャンお一人お一人の内に住まわれるので、私たち自身に聖霊の宮があるのです。ですから内なる神は、私たちのどんなつぶやきや、知られたくない心の秘密など、すべてご存知であります。どんな隠し事も、神さまには一切通じません。
 
 そう言われましても多くの信徒の方から「神さまの声など聞いたことがありません」「内に住んでおられる実感がありません」などと言われそうです。このような疑問に対して、まず第一に聖書がそう言っている確かなことであること。十字架は罪を赦し、聖霊さまをお一人お一人に内住させるためであったこと。最後に、以下に述べる四つの罪が内に住まわれている聖霊様との交わりを遮断しているからではないか、と申し上げましょう。
 
一つめ、未だ人を許していない「憎しみの罪」(マタイ6:14)があるため。
二つめ、恐れの罪。恐れはサタンを通す管です。恐れに支配されていては、1タラントを埋めてしまったしもべと同じ結果(マタイ25章)になります。
三つめは劣等感の罪、四つめは咎めの罪です。
これらはいずれも肉の思いが聖霊さまとの交わりを遮断してしまい、神の聖さもその臨在の恵みにもあずかれなくしているのです。ですから内住される神がわからないのです。
 
 どうか祈ってください。四つの罪に気づかされ、切なる祈りによって変えられ、肉において死ねるように。内住される聖霊と親しく交わることができ、信頼し、徹底して聞き従がい、主の御心の道を歩まれますように。神の恵みに与れますように

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