私があなたを遣わすのではないか
† 士師記 6章12・14節
12節 主の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」
14節 すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
14節 すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
ギデオンはイスラエルのカナン定着の初期、士師の時代においてサムソンと並んで最も有名な指導者です。しかしナジル人で生まれつき選ばれていたサムソンと対照的に、召命を受けた時の彼は属する部族も、その立場も弱いものでした。ですから士師になるには「最もふさわしくなかった」人物とも言えます。今日はこの「ふさわしくない」が一つのテーマです。
ギデオンの名には「強い勇士」という意味があります。しかし神に会うまでのギデオンはミデヤン人を恐れて脱穀の麦を酒舟の中で打っていたという名前負け状態でした。脱穀の麦を打つためには、風通しの良い戸外でする作業ですが、そんなことをすればミデヤン人に見つけられて、麦を奪われるばかりか、隠していたとばかり痛めつけられる恐れがありました。
ミデヤン人とはアカバ湾の両側であるアラビヤやシナイ半島南部に住んでいた遊牧民です。アブラハムの二番目の妻ケトラとの間に生まれた民で、モーセの妻になったチッポラもその民の一人でした。イスラエルの地から見れば最も遠縁で遠方の民族、ミデヤン人がヨルダン川を渡って東から略奪に来ていました。
この時イスラエルは弱く、略奪に堪えかねて救いを待ち望んでいました。その叫びに神は、もっともふさわしくないギデオンを選ばれました。ギデオンがミデヤン人と戦うために角笛を吹いて、3万5千人集めましたが、神はこれ1万人に減らし、さらにハロデの泉でたった3百人に落とされました。これはイスラエルが自分の力で勝ったと言わせないためでした。こうして神の御業が現れる舞台は仕立て上げられました。このことからもわかるように、神のみ心は、民がどうにかして心から神を信じて欲しい、そう願っておられるのです。
今日、当初のギデオンのように、名前負けをし、現状に希望を失ない、人生に立ち向かうのに無力感を感じておられる方がおられるかも知れません。しかし大事なのは現状ではありません。ギデオンのように、ただ「神がその人とともにいらっしゃるか」どうかです。
人生の主な問題は、「主があなたと共におられるか否か」です。それは逆説的ですが、自分の計画や夢、希望を一切棄てて、代わりに神の計画の実現にそれらを置き換えることです。ただ神を信じるだけでなく、神を主とし、己を僕(しもべ)として神に聞き従う道でもあります。クリスチャンでも、このように願っている人はごく一部の人だけという現実があります。
ただここに大きな問題があります。神に用いられて行くと、サタンがそうであったように、高慢に陥る可能性がたかいのです。これは何としても避けなければなりません。ですから、誇れないように、ふさわしくなかったギデオンを召し、絶対自分たちの力で勝ったと言えないよう、3百人で13万5千人を打ち滅ばされました。
このように「自分はふさわしくない」と思っておられる方、あなたこそ神に栄光に帰すことができ、神に用いられる器として最も適した状態であるとも言えるのす。ただ神を信頼し、神に期待して目を上げましょう。お一人お一人に神の最善の計画があります。どうか神があなたの人生に、ともに歩んでおられますように。
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