主の日、後の時代
† Ⅰテモテ 4章1節
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
† Ⅱテサロニケ 2章3節
だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。
先週の月曜日がⅡテサロニケ2章、昨日の土曜日はⅠテモテ4章であり、この両方とも終末に触れている箇所です。偶然はないと感じました。Ⅱテサ2章での「主の日」とは、キリストが地上再臨される時であり、Ⅰテモテ4章「後の時代」はその前に来る大患難とリバイバルの時代のことを指すからです。
一昨年からこの群れでは「リバイバルが始まりました」と語られています。ただそれが本格的に「今日来るか、さては明日か」と待っている方がいらっしゃるとしたら、ちょっと気をつけましょう。聖書に立って時を調べてみれば、次のように述べてあるからです。
まず第一に『背教』(Ⅱテサ2:3)が起こらなければなりません。背教とは聖霊の賜物を受け、不思議なわざを行っていたような器が神に背くことです。教会の指導的な立場の人たちが、神に背く存在となります。サタンが全天使の1/3を惑わして悪霊に堕としてしまったようなことが、終末の時代に起こる可能性があります。わざや奇蹟に目を奪われ、神からのものが見分けられない多くの信者が惑わされるのでしょう。
次に世界の比類のないリーダーとして、反キリストが登場しなければなりません。彼は不法の人ですが、死んだように見えても生き返り、誰もが為し得なかった中東和平を成立させます。その結果神殿の丘に、全イスラエルの悲願であった第三神殿が再建されます。このことをⅡテサ2:4で「神の宮の中に座を設け」と予告しており、サタンがサタンとなったゆえんの、反キリストが自分を神とし、己への礼拝を強要する最大の罪を犯す事態が来なければなりません。人々は熱狂してこれを歓迎し、反キリストへの礼拝を拒むことは命懸けになるでしょう。
第三にマタイ24章でも語られているような、月が血の色に変わるような天変地異、飢饉、パンデミックな疫病、戦争の噂などが起こって来るでしょう。これらの事柄が起こらなければ、後の時代も、主の日も来ないのです。また見せかけでも、熱心そうに断食したり、苦行を説く者にもだまされないようにしましょう。
私たちは「すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。誰にも、どのようにも、だまされないように(Ⅱテサ2:2)」いたしましょう。何が神から来たものかどうかが判断できるように、普段からしっかりと主と交わっておくことが大切です。まさに油を切らしてはいけないのです。ポイントは聖書と祈りです。聖書を読み込み、聖書が知識と信仰の土台となっていること、日々主の、み心を行いたいと祈り、感謝し、喜んでいるならば、どんな時が来ようと万全だと言えるでのす。
« 私があなたを遣わすのではないか | トップページ | 霊とともにあるように »
「聖書」カテゴリの記事
- 女の子孫(2024.02.04)
- 万人祭司(2023.12.10)
- 三日で建てられた神の宮殿(2023.11.19)
- 神の言葉の力(2023.10.01)
- ヨベルの年(2023.05.21)
コメント