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2017年4月23日 (日)

神の愛

Ⅰヨハネ 4章19節
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
 
 主イエスやペテロやヨハネは皆、同じことを言っています。神は愛であること、そして信じる者は神を愛することです。なぜ神を愛するのでしょうか。神がまず愛してくださったからです。その絶大な愛に、信頼し、悔い改めて応答する者となるからです。
 
 もう一つ、詳しく神を愛することを見るなら、それは≪本来地獄行きの己の罪が(十字架の贖いによって)赦され、その負債を免除され(救われ)たどころか、子として永遠の命を与えられた≫からです。
 
 この赦されることについて、私はどうしてもルカ7章後半にある、罪深い女の話を思い出します。この女は通常であれば、イエス様に近づくことすらできなかった存在でした。しかしイエス様を招きながら、試そうとしたために見逃されました。女はイエス様の背後から近づき、その足を自分の涙で濡らし(どれほど多くの涙が出たことでしょう!)、自分の髪で汚れを拭き、御足に接吻した上で、おそらくは自分が一番大切にしていた最大の財産、御足を香油で塗りました。
 
辺りで知らぬ者のいない罪深い女。もう十分に辱められ、見下された罪深い女。しかし当時の社会では、女が働いて生きる仕事は他になかったのです。この世で自分の命にも等しいような香油を捧げた女は、イエス様の神性が分からなかった宗教の専門家パリサイ人に対し、それをはるかに理解していただけでなく、卑しめられたこの世ではなく、赦されて神の国への希望と信仰が圧倒的にあったのです。
 
 女のなすがままにされていることをいぶかしんでいるシモンに、ついにイエス様は言われます。金貸しから借金を全部許してもらった(そんなことはあり得ないことですが)二人のうち、一人は現代で言えば50万円、もう一人は500万円相当でしたが、「どちらが多く金貸しを愛するようになるか」と。
 
深刻な罪意識を持つことは、十字架の主イエスのところに行くことによって、多く赦され、多く愛するようになる恵みの道でした。神を愛する者は、多く赦されなければならない者でしたし、神の子とされた今となっては、かつて罪深い自分であったことが宝となりました。神を愛することは、すべての罪をおおうだけでなく、何があって奪われることのない天の宝です。
 このことは「愛のない者に、神はわかりません(1ヨハ4:8)」とあるとおりで、神を愛する者は兄弟をも愛するのです。

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