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2017年5月

2017年5月14日 (日)

信仰の核心 神のみこころ

1ヨハネ 5章14節
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

 クリスチャンには、二種類あります。以前の私のような聖霊も何もわからないクリスチャンと、神に触れられ、聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンとです。十字架を信じている両者ともに、永遠のいのちを与えられているのは同じですが、その心に大きな違いがあります。神のみこころを知って、それを行いたいと願うかどうかです。
 
 その分岐点は聖霊の臨在の違いにあります。聖書には「神のみ心は聖霊以外に知り得ない(1コリ2:11)」とありますので、神のみこころをいくら知りたくても、聖霊さまとの親しい交わり、つまり聖霊のバプテスマと聖霊の満たし以外には、人間には他にみこころを知る手立て、方法がないのです。そして三位一体の神さまである聖霊さまを通して、私たちは神さまというものと知ることができ、その愛に触れて、愛に生きる者、つまり何よりも、自分自身の計画やあらゆる願いよりも、神のみこころを行いたいと願う者へと変えられていくのです。これは神を知れば、必然的な変容なのです。
 
 聖書では「主よ、主よと言うものが皆天に入るのではなく、神(父)のみこころを行う者が天に入る(マタイ7:21)」という御言葉があります。つまりクリスチャンにとって<神のみこころを行う、行えるか>ということが決定的に重要なことです。そして、みこころを行う者に対して、キリストは「天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです(マタイ12:50)」とまで言ってくださっているのです。
 
 これらの交わりは昔、エデンの園で人間と日々交わられていたように、何一つ変わることのない神の原則であり、人類の創造の目的の一つであろうと推察されるのです。神の本質は愛であり、私たちはこの神と交わり、神を知ることによって、神の愛に満たされ、溢れて愛を行う者へと、実際変えられて行きます。また多く許された者が多く愛するように、神に愛された者は、神を愛します。それがみこころを行うということなのです。
 
 神との交わりがどれほど素晴らしいものかは、究極の姿を描いている黙示録においてこのように描かれています。
「彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く(黙14:4)」「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる(黙21:3-4)

2017年5月 7日 (日)

感謝がすべてを変える

1テサロニケ 5章18節
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 神のみ心は私たちがすべてを感謝することです。感謝によっていつも喜び、絶えず神に心を向けて祈ることです。聖書は非常にはっきりと「神があなたがたに臨んでおれること」、つまりこれが神のみ心であると明記しています。聖書でこのように明確に命じられていることを求め行いましょう。「すべてを感謝」ということは良いことだけでなく、どんな悪いことでも・・・・たとえそれが心の深い傷であっても、それが「すべて」の意味なのですから、心から「感謝」いたしましょう。「それはできない」と思うその心が神に背いています。いっさい、すべてを心から感謝できるよう祈っておられるでしょうか。
 
「感謝がなければ、患難時代を乗り越えることは難しいでしょう」と私たちの群れの責任者が語っています。また大きな困難にある牧師が「現状を感謝します。次回は家族そろってここに来ます」と証しされていました。確かに感謝は、これから来る時代を乗り越える力なのです。そのことは個人的な体験からも明らかです。
 
 私は若い頃から聖書が大好きなクリスチャンでした。が、神のみ心や感謝ということを知りませんでした。ですから聞き従うことではなく、逆に神はただ自分を幸せにしてくれるだけの存在だと思っていましたし、悪いことや困難を感謝するなんていう信仰はまったくお思いも及ばぬことでした。
 
 しかし今は違います。「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ8:28)ことを体験し知っているからです。五十代になって、信仰も教会もほとんど失った人生最悪とも言える状況下、その時見たワカサギ漁のまぼろしで私は、あやうくサタンに釣られそうになりました。このリアリティある仮想体験で初めて自分の深い罪性に気づくことができました。打ちひしがれた私に、神はご自分から姿を現し、どれほど愛してくださっていることを知らせてくださったのです。神の愛にふれ、取るに足りない自分を喜んで神に捧げることが唯一の願いになった瞬間でした。この体験は神を信頼し感謝する者に私を変えました。
 
 最悪はこうして最善の祝福に変えられました。キリストの十字架はサタンの勝利から、一転して神の勝利になったのです。サタンですら決定的に敗北してしまう神の知恵は、その愛される人々に対しても、信仰の感謝を通して超越し圧倒的な勝利を与えるのです。
 
 先ず神に信頼し、肉的な己の目で判断しないで、神を愛し、信頼し、すべてを感謝いたしましょう。実際、人間の思いなど取るに足りないことであって、すべてを感謝する、そのことによって神が重荷を負ってくださり、逆転の解決をしてくださるのです。

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