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2017年6月18日 (日)

信仰

マルコ 4章40節 
イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
                                                               
イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうし 嵐のこの記事に、以前から二点ほど疑問に思っていました。第一に嵐で大揺れの小舟の中、水浸しで今にも沈みそうな状況で、どうしてイエス様は眠り続けていることができたのでしょうか?私はあり得ないと思っていました。しかしイスラエルで何度か行ったノフ・ギノサールにあるイエス様時代の舟の博物館で、去年その展示横にある小さな模型を見て疑問はとけました。模型では艫(とも)と舳先(へさき)に広めの板が張ってあり、イエス様は艫で寝ておられたのです。通常舳先を風先に向けますから、逆に艫は最も安定した所になります。しかもここなら濡れません。
 
 次に、イエス様はどうして弟子たちを叱られたのでしょう。ガリラヤ湖の漁師であったペテロ達が危険を覚える状況でした。寝ておられた師に助けをShip求めて起こしたからと言って、それがどうして叱られなければならないのでしょうか? ちょっと納得ができません。
 しかしこれも当然のことでした。なぜならイエス様は弟子達の信仰を責められたのです。これまで弟子達はイエス様に付き従って、大いなるわざを見てきました。イエス様がただの人間ではないことを一番よく知っていたはずです。ですから何とかしてもらおうとイエス様を起こしたのですが、しかしその前にもっと大切な<信仰の目で起きている現実を見る>ということに気づくべきでした。
 
 似たような話が2列王6章にあります。ある朝エリシャのしもべが起きて外へ出た際、自分たちをアラムの軍が取り囲んでいるのを発見します。あわててエリシャを呼ぶと、エリシャは逆にしもべの目が開くよう神に祈って、神の軍勢がエリシャ達を取り巻いて山に満ちているのを見せました。目に見える事象だけで判断すると誤るのです。神を信じる者は、まず信仰の目で見なければならないのです。私たちの感謝も同じ道理です。
 
 みなさんお一人お一人が、今現在許されているどうにもならない現実や病、困難を信仰の目で見て立っておられるでしょうか? そうするかしないかが、天に宝を積む聞き従いと感謝に、大きな違いを生むのです。二つの疑問の解き証しを通し、いかに聖書が信じるに足りる正確で正しいものか、また私たちが信仰に立つことの重要さを語らせていただきました。

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