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2017年7月

2017年7月 9日 (日)

忍耐による勝利

へブル 10章35-39節
あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
 
私たちの教会は日本のリバイバルに召された教会です。首都の日の昇る方、東から立って行く使命を負っています。このことははっきりと神から示されています。ところが多少出入りはありましたが、相変わらず何年も現状に変化がありません。
先週、この現状に関して、御言葉を求め御言葉に立つように気づかされましたので、早速祈り求めました。本日は与えられました御言葉をみなさんと共に受け取って行きたいと思います。
 
聖書箇所はへブル10:35-39、中心が36節で、そこには「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」とあります。神のみこころとはリバイバルの召しと使命です。その約束は「忍耐」によって手に入れられる、つまり、成就すると示されました。Endure
「忍耐」という言葉に、日本人はあまり良いイメージがありません。「石の上にも三年」とか「むぅぅーうっ」と我慢するサウナ風呂のイメージですよね。だるまさんてみなさん知っておられるでしょうが、座禅を9年も組んだため、両手足が壊死して無くなったからなんだそうです。
 
しかし聖書で言う忍耐とはそのような意味ではありません。聖書的な意味では日本語的な意味でのただ耐えるという意味ではないのです。絵を見てください。教会とクリスチャンにとっては困難がつきものですが、これにはこの先に明確な神の勝利の計画があるのです。ですから、ただ我慢し耐えるという現状維持が忍耐の意味ではなく、忍耐すること自体が、定められた神の時に向かって一歩一歩、成就へ、勝利へと近づき前進していることなのです。ですから私たちの忍耐とは、神の時が成就するための神の戦いなのです。
 
この点から前後の御言葉・・・・「確信を投げ捨ててはなりません(35節)」 「おそくなることはない(ハバクク2:4からの引用)」「恐れ退いて滅びるな(38-39)」と私たちを励ましています。私たちの今の忍耐は勝利へと向かう信仰の戦いととらえた時、現状から諦めたり、与えられた神の約束を疑って途中下車したり、退いてはならないのです。この御言葉に立って、教会は忍耐によって神の約束の成就、リバイバルを見るのです。

2017年7月 2日 (日)

心を刺し貫く剣

ルカ 2章34-35節
また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」
 
 マリヤは親類のエリサベツの家で「マリヤ賛歌」(ルカ1:51-54)と呼ばれる預言を残しています。これは「受難のキリスト」の予告とも受け取れます。そしてイエスを捧げに宮に詣でた時に、シメオンが受難のキリストである確認を語り告げました(ルカ2:34-35)。
 
我が子がメシヤと語られることに驚いた母マリヤですが、おそらく「剣があなたの心さえも刺し貫く」と語られた言葉が一番心に残ったことでしょう。後には成就しましたが、多くの人々の心を明らかにするための神のみこころはこの時点では理解困難でした。
「反対を受ける」という言葉ですが、KJVでは「spoken against」であり、「語られた宣教に逆らわれて」という意味です。本日はこの神のみこころに焦点を当てます。
 
人が福音を聞いたならば、二者択一しかありません。受け入れるか、さもなくば受け入れないで拒むか、です。その分かれ目のポイントは「世に希望があるか」「正しい自己像で自分を見ているか」です。
 
福音を拒む人とは、この世に希望があるからではないでしょうか。地位や権力のある人。能力があって成功した人。名家の生まれや財産のある人。こうした世に宝のある人たちにとっては、容易にこの宝を捨てる事ができません。またもう一つ、「救われねばならない罪」を認識している必要があります。これは暗く否定的なことのようですが、十字架によって一転し、罪からの解放と祝福を得る基となります。聖書はすべての人が罪を犯しており、義人は一人もいないと言っています。ですから罪が無いと思っている人は自己像が正しくないのです。問題は救いと世の富とが相反することです。富める若人のように、どんなに救いを求めていても、世を選ぶなら救われないのです。
 
逆に貧しい人、権力の無い人。能力の無い人、虐げられている人・・・・こうした人たちは福音を受け入れる人たちです。この世にたいした希望がないからです。「心の貧しい者は幸いです。天国は彼らのものです」と言われているわけです。しかしどんなに神の国に近くても、自分の内にある罪が分からなければ救われません。
反対を受けるしるし、とは世を選ぶ人、罪を認めない人たちから福音を語れば迫害されることです。我が子の処刑に立ち会ったマリヤは心を刺し通されますが、三日後、復活の我が子を見ました。同じように私たちは福音を信じ、救われて世と肉の命に勝る永遠のいのちを与えられました。このことを喜びましょう。迫害されても私たちからこれを奪うことはできないのです。

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