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2017年7月23日 (日)

三位一体の神

Ⅰヨハネ 14章16節
私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
キリスト教の神は三位一体の神です。私たちの群れでは「父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神は唯一であり神である」と定義しますが、 それぞれ名称を持ち独立した存在である神が、唯一の存在であるとは、それ自体が一見して矛盾に満ちた定義に見えPhotoます。けれどもこれは、だれも自分の持っている小さなコップに太平洋の海を入れられるとは思わないようなもので、人に過ぎない存在が神を全部は理解できるはずもない。
 
 とは言っても、神ご自身が聖書で三位一体についてかなりの説明をしてくださっている。旧約聖書では創世3:23で「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして」とあるように、何カ所かで神自身のことを複数形で語られています。さらに新約ではイエス自身がヨハネ14章で以下のように述べておられます。
ヨハネ14:9「わたしを見た者は、父を見たのです。」 ヨハネ14:26「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」
これらの御言葉やイエスの洗礼時の様子や、諸手紙におけるベネディクションからも、三位一体の教理は真理であることがわかる。
 
 ところでなぜ神が三位一体という、人間にとって難解な存在なのだろうか?これに当然推測の域を出ないが、本日の聖書「神は愛である」点から、愛と交わりのためだと見ることができる。ヨハネ3:16によれば、神は永遠のいのちを信じる者のために与えようとイエス・キリストを十字架にお架けになった。それは十字架によって信じる者の罪を赦し罪なき者とされ、かつてエデンの園の時のように、聖であるご自分との交わりを回復させられた。仕上げは聖霊である。神は聖霊を人の中に住まわせることによって、かつてエデンで途絶えた交わりを完全に回復させられたと言えるのではないだろうか。イエス・キリスト以降は、聖霊の宮が信じる者の中にあり、神の国が成就している恵みの年である。
 
 三位一体の神は、人への愛とその愛を具現化する交わりの神であることを心から感謝しよう。この交わりのうちに私たち人も、知れば知るほど神を愛し、なんとしても神のみ心を行いたいと心から願い、献身する者へと変えられていく。神を愛さない献身はあり得ないのです。

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