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2017年7月30日 (日)

永遠のいのち

ヨハネ 6章39~40節
 わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。
 事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。


 十字架の神を信じるとは、永遠のいのちが与えられることです。と言うことは<天国人>であり、寄留者としてこの世を生きる選択をしたことになります。それは当然この世から理解できない、異質な者として排斥や迫害を甘んじて受けることでもあります。
 神を信じる者には、血肉の体が世にある限り、戦いが許されます。「風邪なのに便秘の薬を飲んでも治らない」ように、霊的な病には霊的な対応をしなければ治るはずがありません。体や精神の病に対して、その原因が霊的なものであれば、霊的な対応をしなければ治らないのです。もちろんその場合でもあくまで医師や医学の治療にも従い続けておく必要があるのですが。
 
 さて、神のみ心は神がすでに勝利を取っておられるように、私たちも勝利を取ることです。ではその勝利を得るためにはどうすれば良いのでしょうか。もちろんそれは自分の力で推し進めてはなりません。まず第一にサタンの惑わしを見破り、天国人として対応しましょう。彼らサタンはこの世、見える世界、つまり物質世界がすべてのように見せようとしますが、実はその背後に見えない霊的な世界、永遠の広大な世界があるのです(右図)。この見える世界は人のために神が造られた世界であって、目的を達成すれば不要になる滅びの世界です。私たちは天国人として、この見える世界、それも神の許しなしには何もできないサタンの支配を見破って行く必要があります。
 
 次に信仰の大楯の上にイエスさまですら〔四十日四十夜の後の試練の後〕サタンに対してすべてみ言葉で戦われたように、人が神の言葉という剣を用いなければ勝てるはずがありません。あらかじめ神の言葉をいくつか用意し、すぐさま取り出せるよう訓練しておかなければなりません。
 
 最後に私たちには必ずと言っていいほど試練・困難があります。試練・困難はヨブに見るように、すべて神の許しなしにはあり得ません。と言うことは、試練・困難のように見えて、実は次のような目的があるからです。私たちを立て上げて、神の証しの器、み心を行う忠実なしもべになるため、天での祝福を受けさせるためです。ですから試練・困難が来たなら次の御言葉に立ちましょう。第一に私たちが耐えられないような試練は無い(1コリ10:13)のです。次に試練・困難をこの上ない恵みとして喜ぶ(ヤコブ1:2、1ペテ4:12-14)信仰に立つことを神は期待しておられます。最後にフィラデルフィア教会のように、与えられた神の言葉を守る者には、携挙を含め地上においては神の守りがあり、寄留者として、天国人としての自覚を持って歩むようにしましょう。

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