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2017年10月22日 (日)

迷った一匹の羊

マタイ 18章12~14節
12:あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。
13:そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。
14このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。
学校の教室では毎日7時間くらい、教師は子どもたちと過ごします。教師から見て、子どもたちのグループがどうしても三つできてしまいます。一つは先生の机にいつも集まり、親しく交わってくれる子どもたち。次に授業に参加し一見忠実ですが、それは授業中だけ。上手に教師との関係を保っていく多くのグループ。最後に教師に反抗するごく少数の子どもです。
卒業式が終わった直後、担任と別れを惜しんで挨拶に来てくれる子どもは、いつも交わってくれていた子どもたちです。が、教師に反抗してくれた子どもも来てくれます。しかし大多数のつかず離れずのお利口さんたちは、蜘蛛の子を散らしたように校門から去って行くだけです。これは何を物語っているのでしょうか。プラスであれ、マイナスであれ、真剣に関わった関係が互いに残るということです。
 
私たちと神さまの関係も似たようなところがあります。私たちはこの血肉のある地上での財産や受けた栄誉、地位などは何一つ、天の神の国には持って行けません。ですからそれらは空しいのです。しかし「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているものは愛(1コリ13:13)」だと聖書は言っています。愛とは別な言葉で言い換えれば、<真剣に関わり合った関係から生み出されるもの>だと思っています。表面的には従っていても、距離を置いた関係、つかず離れずの関係からは愛は育ちません。
 
本日の聖書箇所でイエス様は、九十九匹を山に残してでも、迷った一匹を捜しに行くと言われました。これは人間的に判断するなら、非常に愚かです。ご存知のように、囲いも石塀もない山に多くの羊を置いて行くならば、迷った羊以上にたくさんの羊を失う可能性が高い。しかも迷った一匹というのは、自業自得で不注意というか、聞き従いのない身勝手な羊かも知れません。にも関わらず、計算を度外視して捜すのが神様の愛だと言われているのです。この迷った一匹の羊を、私は教師に反抗する子どもによく重ね合わせます。捜し当てられた羊は、この体験を通して羊飼いの愛がよくよくわかり、まったく別人、いや別羊に変わったことと思います。魂を得る神の愛、これが最も重要な点です。
 
皆さん、神様との関係に距離をおいてはいけません。「アバ父よ」と幼子のようにすり寄るもよし、反抗して「どうしてこんな試練が許されるんだ」と叫ぶもよし。とにかく生きて働かれる神様と真剣に関わっていく! これがこの血肉の世で一番大切な神から愛される道なのです。天への宝、神への愛はその中で育まれ、醸成されて大きく育つのです。

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