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2017年11月 5日 (日)

2018年ガリラヤ湖畔 新年礼拝

マルコ  11章22~24節     (東京アンテオケ教会 パウロ秋元牧師)
イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

 2018年度の御言葉は、マルコ11:22~24節です。この解説を私なりに致します。
 22 節でイエス様が言われた「神を信じなさい」ですが、信じること、つまり信仰とは、疑わないで信じよう・・・とすることではありません。それができると思うなら、その人は普通人ではありません。つまり普通はできないことなのです。
 
 ではどういう事になるかと言うと、その次の平行箇所である「受けたと信じる」ことなのです。これにはポイントがあります。つまり、どうしてまだ見ても得てもいない事を、すでに受けた、得ていると信じられるのか、です。これはこの世の人々で理性ある人、常識のある人々にとっては、一線を越えた「愚かなこと」です。
 
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 しかし、聖書によれば、信仰とは神の言葉である聖書を信じることです。見えていないものを信じるのは、これは聖書の神の言葉を信じ、信頼しているからなのです。見えるものは滅び、見えないものは永遠です。一例ですがローマ8:28において、神を信じる者には「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」のですから、現状がどう見えようとも、悪いこともすべて感謝し賛美して喜ぶ、ということになります。なぜなら神を信じているからです。そしてその現れとして「感謝」と「賛美」を香とし、24時間焚き続ける連続祈祷をしようということになります。
 
23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
「信じて疑わない」とは人間である限り不可能です。そうではなく、一言で言えば、御言葉を信じ、「受けたと信じる信仰」です。これを実際にやりましょう。どんなに自分に疑いが生じたとしても、それに拠らず、最善をして下さる神さまの言葉を信じ、その祝福を逃さず、感謝をささげるわけです。結果、その信じた通りになります。
 
 年間主題と[感謝と賛美の連続祈祷]はリンクしており、今あるどんな問題でも感謝し、苦しんでいるゆえにあえて感謝し賛美をする。今の自分の目で現状を判断するのではなく、信仰の目で見るからこそできる感謝と賛美を、です。

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