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2017年11月26日 (日)

十字架~その愛Ⅰ

ヨハネ 14章6節 
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
    
今日のみ言葉の「わたし」とはイエス・キリストのことです。父のみもと、つまり天国に行くには「イエスを神の子とし、その十字架を信じなければ行くことができない」、他にどんな道もあり得ないと聖書は明確に言っています。
 
 使徒信条を見てみましょう。この簡潔な信仰告白での中心は、イエスは神であるという告白です。「聖霊によって処女マリヤから生まれた」ことは大奇跡であって罪の無い存在であることをあらわし、「三日目に復活し、昇天した」ことや「神の右に座し」「最後の審判で、すべての人類を審く」ことは、イエスが神であることにほかなりません。
 
 さて私たちの群れでは「父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神は神であり、唯一である」が三位一体の定義です。三位一体を氷・水・水蒸気とかにたとえようとしても、的確ではありません。それでこの言葉通りに私たちは三位一体覚えるので、三位一体を理解するには、逆説的ですが、三位一体を否定する非キリスト教の教えを見た方がわかりやすいと言われています。
 
 使徒が存在しなくなった3世紀ごろから、すでにキリストの神性をめぐっての三位一体が争点になっていました。4世紀のニカイヤ公会議で三位一体に決着しましたが、今日に至っても姿や形を変えて、キリスト教会は攻撃されています。
 モナルキア主義……神の唯一性を主張するあまり、イエス・キリストも聖霊も、一人三役のようなもので同じであると唱えました。逆にイエスは最高度の人間(キリストの神性を否定)であって、父なる神だけが唯一の神であると主張する偽グループが目立ちます。これは4世紀のアリウス派から連綿と続いています。もしイエスが神で無かったとしたら、十字架は空しく、私たちは今もなお罪の中に留まり続けていることになりますし、私たちは全員地獄行きです。
 
 このように他ならぬ創造者である神ご自身が私たちの罪を一身に引き受け、自ら贖いの小羊となってくださった、ここに神の愛があります。神ご自身以外に人類の罪の身代わりにふさわしい方はいません。イエスが神でなければ、私たちは未だに罪の中におり、絶望の底に居るのです。三位一体こそ、キリスト教の土台であり、真理であり、生命線なのです。

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