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2017年12月10日 (日)

哀れみを受け恵みをいただいて

ヘブル 4章16節 
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

私たちの神は全知全能の神です。人類何十億の1に過ぎない私の、どんなこともご存知です。そんなビッグデータって信じられないとか、あり得ないと言う前に、人間の理解をはるかに超える、命と万物の創始者が神であるという信仰によってこれを知るのです。
 今となっては素晴らしい恵みですが、これは私が体験したことです。聖霊を受け新生した後、過去に犯したあらゆる罪を思い出しては悔い改める機会が、幾晩も続いたことがあったのです。私がすでに忘れていたこと、その一つ一つを思い出せられては、その度に私が悔い改めるのです。実は少々辛かったのですが、それが終わった時、ことごとく罪から解放されたような、一点の雲も無い青空のような喜びが全身に湧きました。
  この事はそれまでの霊的な状況を一変させました。それ以後私は悪霊に対し、霊的に怯えたり恐れることがなくなったのです。敵が私に取り付く取っかりが一切無くなったかのようでした。つまり霊的に完全に解放されたのです。
 さて私たちの神は全てを知っておられるのです。ですから二つの対応しかできません。逃げるか、それとも降参して神の前に進み出るかです。逃れようとするならば神を悲しませ、己の罪を増し加えるだけであるのは言うまでもありませんです。ですから観念して神の前に進み出、あらいざらい自分の罪を告白し、あわれみにすがるのが上策です。
 
 私たちの神さまとはどのような方でしょうか。私たちの告白に怒り、ひどいお仕置きをされる方でしょうか。まったく違います。神はその独り子を十字架に架けるほど私たちを愛してくださっているお方です。私たちが罪を告白し、悔い改めれば改めるほど喜び、愛を深めてくださる方です。これは理解が難しいことかもしれませんが、調子に乗って「もっとひどい己の罪を、主よ、さらに思い出させてください」と祈るほどでもあるのです。
 
 神は私たちの罪の告白に対し、ペテロが「何度まで赦すべきでしょうか?」主に聞いた時、「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまで」と答えられた方が、どうして赦さないなどと答えられることがあるのでしょうか。

 神は愛です。慈愛とあわれみに満ちた方です。罪深い私をも造られたのが神であるならば、この正直さにあらわれる神への信頼を必ず、酬てくださる神であることを知りましょう。神は私を子として愛してくださるのです。
 さあ、神のあわれみの中に飛び込んで参りましょう。その計り知れない愛の中へ。

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