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2017年12月24日 (日)

熱心に祈る

ヤコブ 5章16~17節
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。


個人的に私には今、二つの大きな祈りの課題があります。その一つはこの会堂に関してです。この会堂は私が求めて回った限り、教会として借りられる唯一の物件でした。また職場を求めるM姉妹の祈りがこの会堂で鮮やかに答えられたのです。
私たちはさらに大きな会堂へと出て行きはしても、現状ではみ心の場所だと信じています。しかし借り続ける資金が少ないという容赦ない現実が迫ってきているのも確かです。
それで祈っておりますと、「問題や困難は心騒がせず、主に委ねて平安でいるように。人間的に心配し続けていては不信仰である」という思いが来て、私は努めてこの問題にこころを奪われないようにしていました。ところが、金曜日の夜の「こころゴスペル」でTrueVineの演奏の合間に、素子さんがこんなことを語ったのです。
幼稚園に息子のシオンの忘れ物を届けに行って、こんなシーンに遭遇したのです。小児麻痺で右脚に一生装具をつけなければいけないシオンに、サッカーをしようとした友だちが「脚が悪いお前はサッカーに入れない」と言い、長男はそれに何にも言えないで、あきらめて引き下がっていったのでした。四歳ぐらいの子が、あんな表情をする、それが忘れられなく、その夜「あきらめているんじゃなくて、願ったらいいよ」と言うと、「もしダメだったら?」「ダメだったらもう一回願えばいいよ。願いが積み上がって天にまで届くぐらい高くなって行くよ」「本当?」と息子の目がキラキラ輝いて来た、という証しでした。この結果はみなさんご存知の通り、医師にも信じられない奇蹟が起こりました。
 
その夜私は祈りました。「主よ、どちらが正しいのでしょうか?」と。すると翌朝、まだ意識が醒めぬ間に語りかけがありました。「あなたは思い間違いをしている。委ねて安んじていることと、祈らないこととは全く違うことなのだ」と。「祈りを徹底するなら、祈りの中で神からの確信というものが与えられて行く。この祈りから来る確信の上で安んじるのであって、祈りもせず委ねる事とは似て非なるものだ」とも。
目が覚めて、この示しを思い出した瞬間、これはみ心で確かだと思いました。私は思い間違いをしていたのです。ですから私は熱心に祈ります。たとえ結果が私たちの願った通りにならなかったとしても、最善の結果を私たちは見るのです。
 
エリヤの祈りによって、神は三年半イスラエルに雨を降らせませんでした。天の父は私たちが何にせよ祈ることを望んでおられます。私たちを愛し、愛する者と共に重荷を負ってくださるだけでなく、必ず最善を用意していてくださるのです。

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