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2017年12月 3日 (日)

十字架~その愛Ⅱ

ヨハネ  14章6節
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
十字架は人間を愛してくださった、神の愛そのものです。しかし今日、多くのクリスチャンが単に罪の赦しだけに留まって、十字架の真の目的に達していないのは明らかです。
十字架の真の目的とはエデンの回復です。エデンとは神との親しい交わりが行われた所であり、一人の人の罪が全人類に及んだように、次には神の子一人によて罪から全人類を解放したのです。またそれは罪の無い状態にして、人に聖い聖霊さまを送るためでもありました。聖霊さまを通し、エデンの園が回復されるためでした。 永遠の命、新生、聖霊のバプテスマは回復の現れです。
 
聖霊降臨日以降、教会はすぐに大きな問題に直面 しました。十字架によって罪の赦しを受けても、園(交わり)が回復されない状態が生じたのです。聖霊の賜物を受けない
人々です。最初の例はピリポが散らされた先、サマリヤで起こり、次にアポロがエペソで教えた時にも起こりました(使徒8:14-17・19:1-7)。注意していただきたいことは、このことを使徒たちは重大な事とし、すぐに使徒を派遣しました。十字架の真の目的を損ねかねないからでした。Photo_3
しかし今日のキリスト世界では、残念ながらサマリヤやエペソで起きたことが全体に広がり、圧倒的多数派を形成しています。御言葉や祈り、預言などによって神が語られることを受け入れなければ、そこに交わりは存在できません。
 
私の体験
聖霊のバプテスマを何年も求め続けていましたが、いきなり受けたのではありません。初めに深い悔い改めがありました。私がワカサギ漁の話とか、野壺の話をしたことを覚えておられるでしょう。悔い改めの底で、神のあわれみが注がれたのです。聖日の朝のことで、神はご自身を現されたのでした。
 
 最初に異変に気づいたのは、礼拝へと車を走らせているとフロントグラスに、解読不可能な配列をした文字らしきものがぴょんぴょん跳ねていたのです。私の注意を惹きつけ終わると、その文字は並び替えてメッセージを伝えてきました。その時私はひどい自己卑下の状態でしたから、「わたしはあなたを愛している」「どれほどあなたを待っていたことでしょう」という内容に、最初は意味がわかりませんでした。思いもかけない一つの内容に、これが神からだと気づくのにも時間はかかりませんでした。体が震え、嗚咽が出ました。
 神が語られる、どんなに待ち望んだことであっても、実際にそれがある、神は現実に生きておられ、関わりを持とうとしてくださっている・・・・この時まだ聖霊のバプテスマを受けてはいませんでしたが、この瞬間から私の信仰は劇的に変わったのです。そして、神が生きているか、実際に存在されているのかどうかわからないような、これまでの信仰の教会にはもう二度と戻れないと言うこともわかったのでした。そうでないことを私は体験し、知ってしまったのです。
 
「神は愛」、それは十字架によって現され、聖霊に依って受け取る真実です。聖書は確かに神の言葉であり、誰でも受け取ることが出来るものですが、聖霊によって受ける時、御言葉は自分に適用できる生きた言葉、力ある言葉になります。そして聖書が説いているとおり、祈りと聖霊の賜物によって、私たちは神と深い交わりの中、自分を神に捧げ、聞き従って世での人生を歩むこと、つまり十字架の真の目的が達成できるのです。
 
皆さんは十字架の恵みを受け、祝福されました。この群れは聖霊の賜物を用いる素晴らしい教会です。教会の恵み、十字架の恵みをさらに受け取るために、受けている人も居ない人もさらに聖霊を祈り求めましょう。聞き従いを強めましょう。これは御心ですから、時が来たら神は必ず成就して下さることを信じましょう。

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