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2017年12月17日 (日)

私をみた者は天の父を見たのです

✝️ヨハネ 14章9節
イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。
先週のメッセージで私は神様のご人格と言うか人柄というか、それを「理解が難しい」ことと述べました。しかし難しいからと言って、この大切なことをそのままにしていいことではありません。それで今回もう少し詳しく語らせていただくことにしました。
 
今日の聖書箇所 「わたしを見た者は、天の父を見たのである」 とはイエス様がおっしゃった言葉です。三位一体を信じる私たちにとって、神様を理解するのに、人となられた神、イエス様を知る事が最も理解しやすいことだと思われます。そして私がその観点から選んだのはルカ13章から15章にかけてのイエス様の言行録です。ここは他の福音書にはない、ルカ独自の記事が多いのです。
 
「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打った者。わたしはめんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めよう
したことか。それなのにあなた方は、それを好まなかった。(ルカ13:34)」

めんどりがひなをかばうように、と言われたのは、本当に神様のお人柄、お気持ちがよく出ていると私は思います。時々それでもひながトコトコ、親鳥のそばから離れて行ってしまうのですが、そんな時の神様の気持ちはこれです。この後、神は独り子を十字架に架けて殺したイスラエルとエルサレムはついに滅ぼされてしまうのですが、どれほどつらいお気持ちになられたか、想像ができません。
 
ルカ15章に1匹のいなくなってしまい、羊飼いが残りの99匹を野原に残して、1匹の羊を見つけるまで捜しに出かける話があります。羊飼いたるもの、こんな愚かなことは決してしないことでしょう。1対99、どちらが大切でしょうか。
捜しに出かけるにしても、残りの羊をまさか野原にそのまま置いたりはいたしません。必ず野宿用の石囲いの中に残りを入れ、それから捜しに出かけることでしょう。安全でない野原にそのまま置き去りにしておくなんて、正気の沙汰ではないはずです。そして1匹の迷える羊が見つかると、怒り注意するどころか大変喜ぶのです。
どうも神の国は、この世の常識とはかけ離れているようです。イエスは次のように説明されました。「一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない99人の正しい人にまさる喜びが天にある」と言うのです。ここで言う「悔い改めの必要のない人」とは、自分を正しいとする人たちのことです。そのような人たちは、他者を裁いているからこそ、己を正しいとするのです。逆に罪人とは、迷った1匹の羊のように、不服従の結果の恐ろしい結末を迎えようとしている今、心から悔い改め、その助けを求めている人だと言えるでしょう。
 
今はひと昔前、教師をしていた時、いつも子ども達に尋ねていたことがありました。「自分はいい子だと思っていますか、それとも悪い子だと思っていますか」の問いに、ほぼ全員の子が悪い子の方に手をあげます。しかし高学年などになると、少しずつその割合が減っていくのです。自分の心の中ではなく、人と比べて自分が是か非か相対視するようになるからでしょう。
神は人の心の中を見られる神なのです。神の関心はまさにその人の心にあり、他者と比べてや社会的な位置などは関係ありません。幼い子をイエス様が言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。」とは、まさにこのことです。
 
私たちの本当の敵は私たちの内にある、エゴ、自我です。自分を義とするために人をさばき、その刃で結局自分自身をも傷つけて苦しむのです。それはサタンに取り憑かれている自分でもあります。
さあ今、昔の幼かった子どもに戻って、自分の罪性を認め、救われなければならない者として神の前に悔い改め、白旗を掲げて神の子としていただきましょう。

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