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2018年1月 1日 (月)

私たちの行き先

マタイ 11章12節  (1月1日特別礼拝)
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。
私たちの年度はすでに三ヶ月目に入っていますが、暦の上では今日からです。そこでもう一度振り返って、前進をし続けたいと思います。

 アンテオケ教会の動画「クリスチャンのキーポイント」での最近作、「天国と地獄」がありました。これは過去から将来のへ私たちの行き先を表した、非常に重要なものでした。

当然ながら、これはすべて聖書を根拠とした、ほぼ確実なものです。 ところが他の教団、教派では不思議なことにこれまで多く触れられていません。その理由については長い間その中にいた者として、見当がつきます。これは実に残念であり、気の毒であるとすら思います。そしてこの群れに導かれた恵みを実感します。Photo_3
さて本題に戻りますと、図での「アブラハムのふところ」から新しいエルサレムに引き上げられる所に、少しだけ時間差があるように見えます。その理由に当たるのが本日の聖書箇所です。今から二千年前、イエス・キリストが来られて、いよいよ天国(新しいエルサレム)が近づいて来ました。これを待ち望んでいた人々は先を争ってこの天国に入ろうしました。このことを「激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」と刺激的な表現で述べているのです。

天国が攻められ、奪われそうになって危うい」という解釈は笑い話ですが、確かに飼い主たるイエス様が来られたことで、囲われていた羊の群れが朝焼けの門の出口に殺到し、朝一の草を先を争ってせめぎ合っているとの情景描写は、素晴らしい表現であったと思います。イエス様が十字架に架かり、復活された瞬間、新しいエルサレム、つまり天国が完成しました。少し時間差がある理由は、イエス様が黄泉に下られ、復活されるまでの三日間のことでしょう。お間違えのないように、天国は今はまだ見えないかも知れませんが、今の血肉ではなく、御霊のからだ、実際の体がある所なのです。
さて、十字架によって贖いが成し遂げられて以降、クリスチャンには天国へ三回のチャンスがあります。一つは患難時代の真ん中に起こる空中携挙です。まず最初に先に死んだ人たちが、次に生きながら私たちが御霊のからだに変えられて行きます。これは第七のラッパが鳴った瞬間に起こります。次に携挙に取り残されたクリスチャンは、引き続いて起こる後半の大患難時代にほとんど人が殉教します。七年にわたる患難時代は再臨のキリストで終わりになります。オリーブ山に再臨されたキリストが、エルサレムを取り囲んだすべての敵の軍を討ち滅ぼし、黄金門を通ってエルサレムに入城されることを地上再臨と言います。その時、最後に収穫という形でクリスチャンが二度目の天国入りをします。

私たちが直接関係するのは、キリストの地上再臨までですので、以後の千年王国や最後の審判、いのちの書の内容はメッセージではしましたが、この要約では割愛します。
いずれにしても、大切なのは天国への渇望であり、その信仰です。「激しく攻める者たちがそれを奪い取って」とは、まさに信仰の現れです。私たちの群れでは携挙の三条件とも言いますが、畢竟それは「表裏ない忠実」さとか「聞き従い」という信仰が土台です。皆さん、天国へご一緒に参りましょう。私たちは地上では寄留者であり旅人です。最終的な目的地、天への道を共に励まし合い、支え合って参りましょう。

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