みそばに居させて下さい
✝詩篇 46篇1~2節
神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。
私たち人間とは、単独ではなく社会的な存在です。また当然、人間関係が大きな作用を及ぼします。しかし人間の関係というものは一時のもので、永久ではありません。失われるものだことです。
今年のNHK大河ドラマの西郷も、主君斉彬を失うとか、同志のために自らの命を幾度か断とうとした人物です。身近な例を私も知っております。母を癌で失った悲しみのあまり、生ける屍のようになった婦人の話です。この人は、母親を失って、その喪失感から立ち直れませんでした。私は最初、この人には幼く可愛い子ども達と夫がいましたので、しばらくすれば以前のように元気になるだろうと楽観していたのですが。
ところが、葬儀の後も母の部屋に行っては「早く後を追って母の所に行きたい」と願ってばかりいたのです。日に日に痩せ細り、とうとう自分では立ち上がれなくなるほど衰弱し、病院に入退院を繰り返すようになりました。この後十数年してこの方は亡くなりました。この婦人はクリスチャンではあっても、神さまとの関係が問われるケースです。
大切な人を亡くす、人生で築きあげた全財産を失う、まるで希望がなくなってしまった、そんな人生の大きな危機の時にこそ、信仰の真価が試されます。その人と、神様の関係があらわになります。私はお奨めします。こういう時こそ「神様!助けてェー」と祈り求め、叫んでください。サタンはそうはさせじと、「普段は自己中心なくせに、なんだ、困った時の神頼みか!恥ずかしくないのか」と自尊心に訴えたり、「お前のような者を、神が助けてくれるはずがない、無駄だ」と諦めさせようとします。しかしこれはサタンの策略であり偽りです。あなたを滅びに至らせ道連れにしいだけなのです。
ですからそれを振り切って神に祈り、助けを叫ばなければなりません。プライドを捨て神に助けを求めたならば、神は確かに助けてくださり、あなたは救われるからです。どんなあなたでも愛して下さっているのです。これは私の体験でもあり、同じ証しをP牧師からも聞きました。神に助けを呼び求めること、これも信仰の一つなのです。
次に神の助けを受けた後は、悔い改め、次からはそのようなサタンからの誹りを受けないようにしましょう。これすら自分の力でしようとするのではなく、神の力や助けを受け、忠実でみ心の信仰者となれるように祈るので。実はそのようにあなたがなれるよう、神は先ほどの試練を許されたのです。聖書に親しみ、神の「顔と顔をあわせて仰ぎ見れる」ように、「みそばにいさせてください」と心から願うようになる。そうなればサタンは私たちになかなか近づけなくなるのです。
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