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2018年3月11日 (日)

サタンの罠(進化論)を打ち破る

Ⅰコリント 15章45節
聖書に「最初に人アダムは生きた者となった」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
 
 今はクリスチャンでさえも、軽く「進化」と言う言葉を使います。聖書を自分流に解釈せずに神の言葉として受け取る信仰の人ならば、この言葉は慎重に使わなければなりません。進化論とは<eveolution theory>の訳語で、一言で言えば「生き物のそれぞれの主は、神によって個々に創造されたものでなく、極めて簡単な原始生物から突然変異という偶然と適者生存によって人類にまで進化してきた」と言う考え方です。私が高校生の時ぐらいまでは仮説としての取り扱いでしたが、今は学問上の絶対的な真理として扱われており、教師が進化論は誤りだとして教えないのであれば、公立学校では職を失うようです。
 
 しかしそもそもこの進化論というもの、とうてい学問とはいえない代物ものです。現状の目に見えるもので推測するしかないものですが、主をまたいでいた中間種というものの化石は何一つ発見されていません。北京原人やジャワ原人は猿でしたし、クロマニヨン人は人類でした。生きた化石と呼ばれるシーラカンスは、いまだにシーラカンスのままです。動物の胚は始めはほとんど同じで、次にそれぞれの種として成長していくというヘッケルの進化進化論成長図は、とんでもない作為絵でしたが、どんなに嘘だとわかっても教科書には載り続けるのです。根拠のないことを、頑として間違いないこととして受け取る・・・・これは世界は神が造ったという聖書を、断固拒否し受け入れたくない人々にとって、拠り所とするただ一つの考え、すでに一つの宗教であるというのが正しい見方でしょう。
 
進化論が世にはびこる以前は、聖書の創世記が唯一、世界の始まりといのちの誕生、罪の由来を説明するものでした。ですから進化論はそもそも聖書への反逆として誕生し、神を信じない人たちを正当化する為に増え広がってきたものです。もし進化論の言う通りでしたら、一人の人、アダムを通して入ってきた人間の罪の説明がつきません。さらに最後のアダムとしてのイエス・キリストの贖罪も無意味なものになってします。聖書は神の言葉ですから、人間が恣意的な解釈を施して、進化論にとりいったような解釈をするなら、神の言葉より自分を上に置いたことになります。世界は創世記が語る通り、六日で創造されたのです。進化論者の放射性炭素測定法での数値も、全世界を覆ったノアの大洪水を無視しています。私たちは信じない者ではなく、信じる者になりたいと思います。
 
 さらに聖書のこの点から見るなら、進化論の真の目的がよくわかります。
アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストにあってすべての人が生かされるのです。【Ⅰコリ 15:22】
アダムから罪が人類に入り、人は死ぬ運命になりました。罪の原因は不従順にあり、進化論者たちは自分たちの不従順を偶然と生物の敵対しあう生存競争に置き換え、正当化しようとしているだけなのです。

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