しもべは聞いております
✝Ⅰサムエル 3篇10節
そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております」と申し上げた。
主の十字架神学校では、60点が合格点です。神を信じるという意味で、クリスチャンは「永遠のいのち」「天のエルサレムに行ける」という合格60点は皆取っています。が、60点だけで、90点とか100点という、世での人生の祝福を受けている人は多くないのです。しかし私たちは100点満点を目指したいものです。もし私たちがこの世において、主の器として栄光を現すならば、「地上でつなぐなら、それは天においてもつながれる(マタイ18:18)」とあるような、天での恵みにもなるでしょう。
では人生での最高の祝福を受けるクリスチャンと、60点の人との違いはどこにあるのでしょうか。それは神の言葉に聞き従う人生かどうか、という一点に集約されます。神に従う者を通して、神の栄光がその人を通して現されて行くからです。
しかしどんなに神に従いたくとも、神の声を聞くことができなければ従えないのです。多くのクリスチャンは神の声を聞こうとせず、自分自身の声、つまり肉の心とその声に従って歩んでいます。禁断の実を食べたアダムと同じように、自分の判断で選び歩もうとしています。聖書とその御心を歩まないならば、残念ながら60点の人生となります。
では、どうやって人は神の声、御心を知るのでしょうか?秋元牧師は次の3点をあげています。
1 吟味してですが預言を通して神の声を聞く受け取る。
2 (神が答えてくださるまで)徹底して祈る。最低日に1時間から2時間以上の習慣。
3 神からの語りかけである聖書の言葉。自分に適用できるものを受け取る。
私はさらに自分の土台として、「思いを尽くし、心を尽くし、知力を尽くして神を(自分以上に)愛する」をあげたいと思います。神を恐れて従うのも間違いはないのですが、それよりも愛して従う方がどんなにか優っていることでしょうか。
少年サムエルは神のことばを聞く人物となりました。彼の心には母ハンナを通して、神への感謝と喜びが注がれていたはずです。長年の祈りの結果である初子サムエルをナジル人として神に捧げる、これは想像を絶した愛の行為だからです。
神はご自分を愛する者をどんなに愛してくださるか、それは大士師となったサムエルのように、人の想像を超えています。ご自分を現し語ってくださり、日々愛の中でその人を養ってくださいます。これは「間違いない!」のです。
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