神の国は何処に
✝ルカ 17節21節
『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。
神の国、天国とも言いますが、それはどこにあるのでしょう。多くの人は天、空の上にあると思っています。現代の空の上には、人工衛星や国際宇宙ステーションが飛び交っているのです。キリストの再臨ではドラえもんの「どこでもドア」のように、エルサレムはオリーブ山の上空の、とある空間がパカッと開いて、そこからイエス様と主の軍が降りて来るのかも知れません。ところが神の国は「ここにある」とイエス様ご自身が明言しておられる所があります。パリサイ人たちが考えもしなかった所、信じる人の心の中にです。これを聖霊の内住と申します。
クリスチャンなら「聖霊の内住」を誰でも学んでいます。しかし、実際に聖霊のバプテスマの体験や、神の語りかけを受けたことがなければ、内住は単なる知識の一つです。実際、私は福音派に三十年居て、時に神を感じ、霊の躍動を感じはしても、「みこころを行う」「聞き従う」という聖霊の生きて働く信仰など聞き及びもしませんでした。また祈祷会をしても、祈りが答えられるということなど、期待もしないで続けていました。
イエス様は「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入る(マタイ7:21)」とハッキリ語っておられます。ではクリスチャンでもみこころがわからない人は天の御国には入れないのか、と言うことですが、ここでの天の御国とは天のエルサレムのことであって、天国に行けないという意味ではない、最低でも諸国の民にはなると私は思っています。ただ天のエルサレムの門の中に入れるよう、祈り続けて行くことだと思います。
さてクリスチャンは、聖霊様が内住されているのですが、最初はビギナーズラックというか、すごく語ってくださったり、祈りを聞き届けてくださる段階があります。しかしそれが時間と共に薄れて行って、やがて聞こえなくなったと、がっかりする人を見受けます。しかしそれは、神様がその人を立て上げようとしておられるのです。子どもが少し成長し、ある程度聞き分けられるようになったら、自律できる人間となるために、我慢することや、何よりも聞き分け、従うということが大切です。自分の肉の心を見分け、父のみこころを行いたいという心を、神は試練を通して育ててくださるのです。
ですから許された試練は、すべてが最終的には益となりますので、私たちはすべてを感謝するのです。教会も会堂が開かれるという段階があり、今現在、会堂をたたむという段階にありますが、これら一つ一つが益に変えられて行き、大きく成長する土台になって行くのです。みなさん、感謝です。
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