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2018年6月 3日 (日)

信じる者はみな、神から生まれた

1ヨハネ5章20節  
イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。
 

 「罪がわかる幸せ」~救われることを願って、親しい友人や親族の前で福音を語りますと、聞く人は三者三様です。熱心に聞いてくれたり、詳しく知ろうとする人はごく少ないのですが、励まされます。次に聞き流すか、聞きたくない人。霊、魂など見えないもの、現世に関係ないものには関心がないのでしょう。最後に嫌がる、または露骨に怒り出す人がいます。自分を正しいと思っているので、救われなければならないこと、悔い改めなければならないことに抵抗を感じます。まして死後の裁きについて聞くことは、見逃せない不愉快なことなのです。
この違いは、自分の心の中を正しく見ているかどうか、つまり罪意識があるかないかによるものでしょう。その結果、頑なさに違いが生じているのです。

 逆に今礼拝している皆さんは、神に愛され、神の子とされている非常に恵まれた方で、我が国の人口の2%しかいない、つまり五百人に一人という超祝福を受けておられる方なのです。クリスチャン二世を除いて、皆さんの共通項はただ一点、罪が分かったという点なのです。なぜなら、罪が分からなければ悔い改めることができません。罪がわからなければ、悔い改めて救い主、私の罪の身代わりに十字架を受けてくださったイエス・キリストを信じる必要は感じません。ですから、信じる前はどう自覚しておられたとしても、呪われ恐れていた自分の罪深さが、大逆転してクリスチャンには大きな祝福となりました。

 ではどうして自分は罪が分かったのでありましょうか。だいたいは以下の部類に当てはまることでしょう。病の癒やしを求めて。不幸や不条理の理由を探して。自分の能力の低さに解決を求めて。心の傷の空白を埋めたい人、あるいは死を直前にして命を考えさせられた人もいることでしょう。そして神を見出された誰もが、上述した解決を求めて行く中で、自分が、自分がという愚かしさ、罪に気づき、悔い改める心が生じた時に、惨めな自分をも愛してくださった神を知った方が多いと私は思うのです。

 自分の不幸が神を信じ、永遠のいのちがあたえられる幸福を導いてくれました。またそのように、私たちクリスチャンは、本能的に神が父であることが分かるのです。なぜなら、私たちは神の子どもだからです。実の子なら、自分に父が居ることを知っており、たとえ会ったことがなかったとしても、父が父であることが分かるのです。               

 みなさん、父なる神を一層信じ、愛しましょう。小さな子どもが、素直にすべてを父の前で話すように、いつでもどんな時でもお祈りしましょう。父もそれを望んでおられます。そしてそれに答えてくださる、生きたお方が私たちの父なのです。

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