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2018年7月

2018年7月 8日 (日)

要塞を打ち倒す力

Ⅱコリント10章4節     【新改訳2017】
私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです

 要塞とは前線基地でして、いったん作られてしまうと、なかなか打ち破れない強固な陣地のことです。通常要塞は敵との境や敵のただ中に築かれ、精強な軍が派遣されています。領地をパトロールして守り、時に攻めるために要塞から出撃し、危うくなれば要塞に逃げ帰って軍を立て直します。聖書のこの箇所でいう要塞とは、サタンが私たちの中に築いている要塞であり、なかなか打ち壊せないもの・・・・・罪深い性質、ねたむ心、物欲や肉欲、なかなか直せない弱い性質や消えない古傷などが該当するのではないでしょうか。

 そこで二日前のⅡコリ7章10節に「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせます」とあります。私たちが要塞と戦う時、自分の力の弱さを知ります。そこで戦う力の無いことがわかってはじめて、悔い改めて神様に自分を完全に明け渡し、自分の代わりに神様に戦ってもらうようになります。これが「救いに至る悔い改め」です。この戦いは、神の勝利となります。なぜならサタンは神に勝てないからです。これは兄妹げんかで、体格で負けそうな妹が父親に助けを呼ぶようなものだと言えばよいでしょうか。

 神の側に立ったクリスチャンに対し、サタンは奪い返そうと激しく攻撃します。ですから神に逆らう闇の力、サタンとの戦いは、世にある限り、クリスチャンにとって常に続くことを覚悟しなければなりません。この霊的な戦いを自分の力で肉的に行うなら、常に深手を負うことでしょう。しかし悔い改めて、常に神に自分を委ね、捧げて、代わりに神様に戦っていただくなら、私たちは必ず勝利を得るのです。このことを「要塞を打ち倒す力」と言っているのです。

私たちに希望はなくとも、心の希望が神にあることを特に学びました。

2018年7月 1日 (日)

私たちの天のかたち

Ⅰコリント15章49節

私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。

 私たち一般的なクリスチャンに、天国への希望、そこに行ける喜びという現実感が、あまりにも希薄な人が多過ぎる、そういう思いがしてなりません。

 たとえ現状がどうあろうとも、本来私たちはすべての罪許され、天国人として希望に溢れてスマイルの存在なのです。私自身も辛かった試練の中で、呻き苦しみ、希望の無い暗い表情をしていた者だったからこそ申し上げます。それでは、いけません。証人としての使命が果たせていません。

 しかし現実には、「天国人なんてこと言ってるの、現実が見えてないお気楽な人たち」とか「地に足が着いてないから言えている」と批判するクリスチャンたちの声が聞こえるようです。また福音派の教会の祈祷会では、ドラえもんのポケットばりに、神様への願い事や要求を呟くように唱えるばかりです。生ける神の臨在の中、感謝や心からの悔い改め、賛美という、祈りの土台がすっぽり抜け落ちているのです。祈りが聞かれる、そんな希望も信仰も無いようです。

 それがハッキリわかるのは、告別式、召天式という教会のお葬式において、まるで永遠の別れのように、式においてひどく嘆く悲しんで悼んでいる光景を目にする時です。出棺では泣き叫ぶ人すら出る始末です。今の世は永遠の世界に比べれば、ホンの一瞬のようなものです。この世での使命を終え、天国に凱旋して行った兄弟とは、私たちはすぐに再会します。ですから一時の別れは惜しんでも、あまりに悲しむのは、世の人と変わらず、復活を実際には信じていないというようにも見受けられます。

昨日、同じ群れの若い兄弟のブログに、次のような文面がありました。
日本で新しい人に出会うといつも、名前のせいで、外国人だと間違えられる。でも、くそまじめに、外国人だと、答えたい自分がいる。天国から来ましたと、天国のことを話すと多くのクリスチャンがしらけるし、笑う。天国の話をできないクリスチャンが多すぎる。けっこう悲しい現実。でも、イエス様はいつも天の御国は、と言って天の国の話をした。この世で成功するお話でもなく この世の政治の話でもなく、イエスさまはいつも御国の話をした。天国人として天の国のサムライとして、天の国の文化の中で生きて行きたいなぁと心から思う。

全くの同感ですし、今日私が皆さんにお伝えしようしたテーマは、完全に読み取られていました。付け加えますが、私たちにはすばらしい「御霊の体」が与えられます。鳥や魚の肉には、同じ肉でもそれぞれ違うように、天国には朽ちも老いもしない御霊の体が与えられます。その御霊の体をもって、罪も苦しみも無いすばらしい天国で私たちは永遠に暮らすのです。天国ではアダムとイブが堕落する前の、実にすばらしい世界が復活すると私は思っています。

どうか皆さん、この世のことを心配する世の霊に支配されないように、心がけていきましょう。不安や心配事が先ず頭に浮かぶ人が居ますが、それは悪霊です。肯定的、積極的な人間になれるよう祈り求めましょう。

 み心の使命が果たせるよう、神に祈り求めて行きましょう。自分の使命を知らずして、それを果たすことはできません。ですからまだわかっていない人は、ぜひそれを得られるよう、熱心に祈り求めてください。これはみ心ですから、必ず答えられます。天の国の文化をこの地上で明らかにできるよう、祈り求めましょう。そして神様に感謝して捧げられた人生、証人としてのスマイル、笑顔、喜んで人生を神様に捧げて参りましょう。

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