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2018年7月29日 (日)

愛の中身

イザヤ 49章15節   【新改訳2017】
 女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない。

 ソロモン王没後、王国は二つに分裂します。北イスラエル王国がアッシリアによって滅亡し、ユダ王国も、エルサレム以外の大きな町は落とされ、捕囚の憂き目もに遭いました。最後の首都エルサレムも陥落寸前、取り囲んでいたアッシリア軍18万5千人が一瞬のうちに主の手によって撃ち殺されました。この危急時に王と国を支えて護り、大活躍したのが預言者イザヤです。
 したがってこの風前の灯火の中、シオンは言った。「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と。と言う叫びがあり、これにイザヤを通して「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとえ女たちが忘れても、このわたしは、あなたを忘れない」(49:14-15) と言う神の言葉がイザヤによって語られたのです。

 南ユダに対するこの神の言葉は、全体を通して読み解く限り、現実のイスラエルに対してと言うより、霊的イスラエル人に対しての言葉のようです。言わば私たちクリスチャンに対しての神の愛の言葉が語られていると理解しても良いでしょう。これほどの神の愛に対して、その愛されている当のクリスチャンが「神の愛を受けとめきれていないのはなぜでしょうか」、つまり神の愛に対して「応答」できていない、これが今回の白馬キャンプでのメインテーマでした。この「応答」には信仰の「祈り」「聞き従い」「告白」の三つを用いる必要があることが解き明かされています。

 皆さん思い出してください。私が白馬に行く前に示されて語ったのは「聖霊を悲しませない」でした。自分の中にいつも、神の愛を感じ、その愛する方を悲しませたくないという心、それはなぜ生じるのだろうか、とメッセージをしました。それはどんなに自分が罪深いか、罪がわかって真実な悔い改めに導かれ、そこではじめて神の愛がわかる、と語らせていただきました。

 神の愛がわかれば、なによりもそれが大切であるし、その方を決して悲しませてはならないと心に強く思うようになります。また、神様のみ心を聞き従って行いたい気持ちにもなるのです。これを一言で言えば神様との関係、「交わり」だと私は申し上げました。

 「応答」と「交わり」、言葉やニュアンスは少し異なりますが、言わんとすることはほぼ重なっています。それは神様を愛することで、その中味としてのコミュニケーションです。神様はただ崇められたり、奉られたりすることをお望みではありません。被造物に過ぎない人間ですが、特別にお一人お一人を愛されています。愛にコミュニケーションは必須です。神様はそのために十字架によって特別に罪を取り除いてくださり、隔ての壁をなくしてくださったのです。

  それなのに神様の愛がわからない、受けられないのは、100%人間の側の問題です。それが完全に砕かれずに残っている各自の高慢であり、また、祈りや告白に代表される信仰の三つを用いないことにあるのです。

  ですからみなさん、試練を喜んでください。高慢から悔い改めに導かれます。祈り告白してください、神様の恵みの愛がわかり、受けられるますように。

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