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2018年10月28日 (日)

恐れるな

マタイ 10章31節     【新改訳2017】

ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。

昨日の聖書箇所マタイ10章に三度出てくる「恐れてはいけません」の言葉は創15:1や46:3、士6:23に出てくる「do not be afraid」と同じで、「恐れるな」とも訳していい言葉です。そしてこの度、この箇所が三度出てくる10章に導きを感じました。
 26節の「ですから彼らを恐れてはいけません」の<彼ら>とは、私たち神を信じる者を迫害する世の人々、世の力です。彼らの前に引くことなく証し続けなさいと言う意味です。

 28節の「恐れてはいけません」は、真に恐れる相手を教えています。サタンやサタンの側の世は、確かにクリスチャンを迫害し、第1の死である血肉の命を奪うことができるかも知れませんが、彼らにできるのはそこまでです。しかし神はその次の永遠の死である第2の死、ゲヘナで滅ぼすことがおできになります。真に恐れる相手は、ただ神だけです。

 31節では、クリスチャンに許される困難や殉教は、決して神が無関心であったとか、沈黙していたからではないとを告げています。600~700円ぐらいで売られている1羽の雀の命さえ、神の許しなしにその命がなくなることはないのです。雀よりはるかに価値の高い私たちに許されることには、神の深い計画があり、神の栄光になることなのです。

 さて、これらの「恐れるな」がなぜ三度も語られるのでしょうか。迫害が近づいているからです。この箇所は元々弟子たちを派遣する前の、その心構えを語られているのですが、読んでいると実は患難時代を前にしての私たちに語られているような気がしてきました。そしてその核心は「血肉の命を失ってでも、主イエスの御名を否むな」と言うことに尽きると思われます。なぜならクリスチャンを否定するならば天国に行けないことと、逆に命を失ってでも「イエス・キリストの神こそ私の主です」と告白するならば、主イエスが天国で喜んで迎えてくださる事が約束されています。似た事がこれから起こる黙示録での「獣の刻印を受ける」こととして聖書に記述されています。
 黙示録では獣の刻印を受けるならば、ゲヘナに落とされる、とはっきり書いてあります。しかし一部の人たちに「そんなことは形式的なことだから受けても大丈夫。信仰は心の中のものだから」という人たちがいます。しかしそれはとんでもない間違いです。

 ただ自分の力で転ばない、大丈夫だと思わないでください。血肉の体を持つ私たちの弱さをご存知の主イエスの愛とあわれみに頼りましょう。また日頃から深く神と交わって、強い信頼を築いておくことも大切です。神の前に悔い改め、神を呼び求め続けることが最も大切なことでしょう。

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