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2018年10月21日 (日)

癒やし

マタイ 4章24節     【新改訳2017】
イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒やされた。

 バプテスマのヨハネは、自分がキリストであることを否定し、次のような預言をしました。「その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます」(マタイ3:11)と。
 その預言通り、イエスはヨハネからバプテスマを受けられると、ただちに天から聖霊が下り、公生涯がスタートしました。また「火」とは裁きを表し、次の12節「手に箕を持って、ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめられ……殻を消えない火で焼き尽くされます」の通りです。ですからキリストの地上再臨時の「収獲のための火」と理解してもよさそうです。ヨハネの言った「聖霊」と「火」は、イエス・キリストの公生涯の始まりと福音の時代の終わりを端的に言い表していたとも言っていいでしょう。

今は西暦2018年ですが、A.D.2018と表記します。これはラテン語のanno Domini(主の年に)の略語で、キリスト以前(B.C)と世界の歴史は二分されているといるのです。今の二千年は福音の時代、恵みの時代です。しかしこれが永遠に続くわけではありません。もうすぐその終わりが近づいており、新しい時代に入ることを私たちは知っています。しかしこれまで学んできましたように、どんな時代でも天のエルサレムに入るには「試練」が付きものであり、逆に言えば、試練を受けなければ救いの確信は得られないことでしょう。

 皆さんの中には体や心の病、あるいは障害で苦しまれたり、辛い思いをされている方もおられます。たとえ自分自身でなくとも、家族や境遇というものでも同様です。また、いじめとか挫折、経済の貧しさ、自分の能力の無さに苦しんだ方もおられることでしょう。これらは皆、試練として苦しみを受けましたが、同時に、このような試練なしに神を心から信じられた人は、一人もいないと私は思っています。その苦しみがあったればこそ、葛藤の中で罪が分かり、永遠の目が開れたのです。逆に素晴らしい祝福になったのです。
 反対にこの世の成功者、富、権力がある人が神を信じることは容易ではありません。ラクダが針の穴を通るほどの確率でしかないでしょう。その体現者であるパリサイ人に対し、主はマタイ伝の23章で「わざわいだ」と呼んでいるくらいです。

 イエス・キリストの福音の恵みはまず病ある人に届けられました。最終的には多くの異邦人を含むシリア中の人々がイエス様の元に来て、癒やされたのです。主の癒やしには明確な原則があります。それは肉体上の病も癒やされますが、より根源的な罪を癒やされるということです。体や心の癒やしから真の癒やしに向かうなら何という祝福でしょうか。癒やしが単にそれだけなら死ぬだけです。罪を赦され神を信じるなら永遠のいのちです。私たちはその祝福の恵みに与っている幸せな者なのです。神に感謝しましょう。

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