助けて
✝マタイ 15章23-25節 【新改訳2017】
しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」
イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」 しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」
今年の主題は今月四日の日曜日に初めて聞いたのですが、その四日前の火曜日、オリーブ山ではじめて祈った時、個人的に明確に示されたのはこの「助けて」でした。
マタイ15章21節以降のこのカナン人の女の記事は共観福音書のすべて記されています。イエス様達が行かれたシドンという所は、今のレバノンであり、バールやアシュタロテという偶像崇拝の地です。その異教の地においても、イエス様のことを「主よ、ダビデの子よ」と叫んでつきまとって弟子たちを困らせる女がいました。娘の癒やしをなんとしてでも得たい一心であったのでしょう。
イエス様はこのカナン人の女に対して、びっくりするような厳しい言葉を浴びせています。「わたしはイスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」→イスラエル人に遣わされているので、外国人のあなたは関係ないです。
「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」→神の子であるイスラエル人への恵みをカナン人のあなたに分けてあげることはできません。
その上、イエス様から「小犬」と呼ばれる屈辱的な言葉も浴びせられました。しかし女はひるまなかったのです。おそらく女は、シドンからガリラヤのイエス様の所へ癒やしていただきに行った人たちが、みな癒やされて帰ってきた、その証しを聞いていたのでしょう。そして悪霊につかれた自分の娘が助かる方策は、もうこのイエス様だけが唯一希望であったのかも知れません。女はイエスのことばを受けて「食卓から落ちるパンくずでも」ください、とイエスにさらに願ったのでした。
似た話があります。最後の大士師サムエルを得ようと、神さまはハンナの胎を閉ざし、エルカナに第二夫人をとらせて多くの子を得さえ、ハンナを苦しめられました。それがエリの前に心を注ぎ出す祈りとなりました。神に捧げられた人サムエルの誕生はハンナの祈りの実でした。その祈りを引き出されたのは神だったのです。
このプライドも何もかも捨てて、ただ神のあわれみを必死に求め続ける・・・・・・これを今、神さまが私たちに求めておられるのです。心からの神への願いを神がご自身の計画のために用いてくださり、大きな祝福が結果として与えられます。確かに今現在、私たちの教会は経済的な面などで、困難に直面しており、教会の成長を心から祈っています。これこそみ心であり、必ず祝福されるとわたしは信じます。100倍、60倍と実を結んで行く、今年の年間主題がそのことを保障しているのです。
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