神の愛-Agape-
✝ルカ 15章24節 【新改訳2017】
この子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。
昨日の通読聖書箇所を今日のメッセージとして取り上げました。今回読んでおりまして特に「死んでいたのに」が示されました。父にあろうことか生前贈与を要求し、家を出て行った弟息子は、生きておりましたが自分のしたいことやその欲望に従っていました。弟はすでに霊的には死んでいました。死んでいた、これはどういうことでしょうか。
私たちは、罪を悔い改めて生まれ変わらなければ、そのままでは滅びます。滅ぶとは、神の国に行けないということです。このことを主イエスが繰り返し繰り返し「悔い改めなければ滅ぶ」と語られたことですが、悔い改めるためには、自分の罪が徹底的にわからなければできないことです。
父が赦してくれた生前贈与、それで身を持ち崩すということは容易に想像できたことでしたが、それでも父は赦します。案の定放蕩によって、弟息子は罪のあらゆることを身に知らされました。人々は自分ではなく、自分の金にだけ群がっていたこと、忘恩の憂き目にあい、忌むべき豚小屋で命をつなぎ止める生活に落とされました。ユダヤ人にとって、豚の食べ物を食べようとする困窮さは、すでに人としての誇りも何もかも失っていることを表します。そうなって始めて弟息子は、自分の罪がわかったのでした。
あらゆる自尊心を捨て、どんなに屈辱を味わおうとも、もう一度父の許に帰ろうと決心します。悔い改めの「お父さん、私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう息子と呼ばれる資格はありません」の言葉を胸に、です。
悔い改めることができたのです。生きている間に、実は自分は死んでいたことに気づき悔い改める者には、神の愛が注がれ、真の生きる意味と目的が与えられます。これが人の親にはできない、神の愛です。
現在逮捕され取り調べ中のゴーンさんは、毎年日産からだけでも10億円の収入があったようですが、それだけでは全然足りなかったようです。人間の欲望というものは際限のないもののようで、その先は、罪が口を開けて待っているようです。
聖書では主イエスが地上に来られたのは病む人のためだとえ語られました。「取税人」「罪の女」「病の人」など、世からはさげすまれており希望がなく、「癒やし」と「救い」を切実に求める人の多くは福音を求め、主を信じました。罪がわかるからです。世で成功している人にはそれが全く分からない事。神の国にはこれほど逆転があるのです。
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