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2018年12月 2日 (日)

処女降誕

ルカ 1章35-45節      【新改訳2017】

35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」  
45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。


 キリスト教の土台は聖書です。しかし多くの人が初めにつまずくのは、処女マリアが懐妊し、子どもを生むことです。
 このような到底信じがたい奇跡でなぜ福音書は始まるのでしょうか? しかしこれこそが必ず起きなければならない事でした。キリストが三位一体の神であるならば、聖であり罪なき存在です。もしキリストが普通に男女の両親から生まれたならば、どんなに立派な人物であったとしてもアダムの原罪を免れず、その罪ある者が全人類の罪の身代わりにはなれません。聖である神ご自身が受肉して来られた、それがキリストの処女降誕です。
 ほとんどの異端は、キリストの神性を否定し人間だとします。しかし三位一体を信じる者にとって、処女降誕は神ならばおできになると堅く信じることができます。

次に聖書からこの事実を学びます。第一に、イエスの出生にまつわる出来事は、キリスト教のもっとも初期から信じられてきたことです。ルカ福音書にはその著者ルカが、母マリヤから直接聞いたのだろうと思われる記事で溢れています。エリサベツとその胎内にいたヨセフのこと、マリア賛歌、また<シメオンは・・・・母マリアに言った>とか、イエス12歳の時<母は言った「どうしてこんなことをした・・・・」>2章51節<母は・・・・心に留めおいた>などの記述からです。
 さらに、十字架にマリアが立ち会っていることや、弟にあたるヤコブやシモンが聖書の書簡を書くほどになっています。またマルコ6章3節にイエスが<マリアの子で>とあるのも、周囲の人々の中には、イエスを私生児視していた人がいた証拠になります。

 私生児ということが出てきたので関連しますが、ユダヤ教のタルムードではマリアは淫婦だったので私生児イエスを生んだとしています。もしそうならば、婚約者ヨセフは決して結婚しなかったでしょうし、イエスに続く6人の兄弟もなかったことでしょう。さらにまた12歳になって、多くの連れの一員としてイエスが都詣ですることもなかったはずです。

 最後にイザヤ7章14で聖書が処女降誕を預言していました。ですからこれは預言の成就でした。また出生地もミカ5章2-5節にあり、神は時のローマ皇帝すら用いて、160キロも離れていたナザレから移動させ、ベツレヘムで生まれるという預言を成就されました。

 これらのことをまとめるなら、ルカ1章37節の「神にとって不可能なことはありません」という天使の言葉を信じるのが、神を信じる者としての唯一の妥当な結論になります。これを信じない者は、自分の考え、判断を聖書より優先しており、不信仰に該当します。

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